椿

椿

安達(足立)籐九郎盛長は文覚和尚の指導を受け頼朝の側近として忠勤に励み、外交の才に長け、頼朝再起の影の功労者であった。頼朝は建久10年(1199年)正月に急逝した。頼朝の死因は諸説あり真偽は不明であるが、頭領の死を契機に実子安達景盛に全てを託し佛門に入り、高野入道蓮西法師となり鎌倉に復帰せず西牟婁郡白浜や龍神村殿原に居住して末期を迎えた。
この墓所にある椿は690年余の樹齢を刻んでいる。
地上高 95cmで幹は三本に分かれ留。幹周り 2m27cm。
  樹高 7m余
  樹幅 9m余 紅色の小花を付ける。
  推定樹齢 691年


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