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◆上鉛川(かみなまりかわ)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「遊楽部岳」(昭和35.11)を使用したものである

在:八雲町鉛川
地形図:春日/遊楽部岳
形態:川沿いに家屋が散在する
標高:約50m〜?(学校は約70m)
訪問:2014年5月

 

 字鉛川の東部から南部で、鉛川沿いにある
 町史によると、入植の開始は明治41年。このとき5戸であったが、明治44年には40戸を超えるようになったという。
以下は小学校の沿革。

 大正2.2  私設の教育所開設
 大正2.3  廃止
 大正3.4.10  八雲尋常小学校付属上鉛川特別教授場開設
 大正4.9  新校舎完成
 昭和16.4  八雲国民学校上鉛川分教場となる
 昭和22.4  八雲小学校上鉛川分教場となる
 昭和25.10.1  独立。上鉛川小学校となる
 昭和40.3.31  廃校

 また上鉛川中学校は昭和27年9月開校(小学校に併置)。廃校は小学校と同時。

 現在は学校跡に碑と新しいバイオサイクルの施設が建つほか、国道沿いには農地が点在する。人家の類は皆無。

※ なお町史では「遊楽部川と鉛川の合流点から鉛川沿いにさかのぼることおよそ一〇kmから二二kmにわたって広がる地域の…(略)当時の入植者はこれを奥鉛川と呼び、のちに上鉛川と呼ぶようになった地域である」との記述がある。しかし合流部から10km遡った地点は学校跡よりも遥かに上流(凡そエイリンサワ川との合流部付近)であり、そこから八雲鉱山までの間に40戸が暮らしていたとは考えにくい。当サイトでは、差し当たり約2km(国道で換算)より上流側の写真を掲載した。

 


写真1 道と農地

写真2 屋敷跡?

写真3 学校跡の碑

写真4 施設

写真5 農地

写真6 屋敷跡?

 

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