◆水窪(みずくぼ)

※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「米澤」(昭和21.10)を使用したものである
所在:米沢市関根(せきね)
地形図:米沢東部/米沢
形態:川の合流部に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約350m(水面は約380m)
訪問:2017年11月
大字関根の中北部、刈安(かりやす)川とその支流との合流部付近にある。現在は水窪ダムの人造湖(豊穣の湖)に水没。
所属については諸地図サイトに拠ったが、手持ちの道路地図では大字三沢(みさわ)となっており、「角川」の小字一覧でも「水窪」は三沢の項にある。
集落は堰堤に近いこともあり完全に水没し、遺構の類は確認できない。管理事務所付近の広場には「豊穣の湖」の碑とダムの竣工記念碑がある(写真2)。以下は「豊穣の湖」の碑に記された碑文。
沿革
山形県の置賜盆地として米沢市、南陽市、高畠町及び川西町の二市二町にひろがる一万ヘクタールの水田の用水は、いずれも急峻な山地から流下する河川に依存していたので保水力がなく、渇水期には例年深刻な用水不足に苦しんでいた。
従って、この用水不足を抜本的に解消するとともに、用水系統の合理化を図るために、最上川の源流、羽黒川に有効貯水量三千五十万立方米(都市用水二百十万立方米を含む)の表面温水を使用する水窪ダムの築造を始め、延長六万八千米の幹線用水路等を建設する国家事業を、昭和四十五年度から十数ヶ年の歳月と総事業費二百十六億円余を投じて完成した。置賜に黎明を告げる百年の大計としての大事業が、ここに大成するにあたり、ダム建設のために郷土を離れた四十七戸の人達のご多幸を祈ると共に、多年にわたって事業の促進と建設に尽力された人達の名を感謝の心をこめて永くこの碑にとどめ、水窪ダムが地域発展に大きく寄与されることを希うものである。
湖水は常に 洋々として歴史を語り農民の幸せを祈ることであろう。
昭和五十五年十一月
国営米沢平野農業水利事業竣工協賛会
また碑によると、移転者は斎藤4・羽賀3・大泉1・樋口1の計9戸。
最近の地形図で記されている碑の記号はこれらではなく、矢沢林道の竣工記念碑(写真3)。
HEYANEKO氏によると、当地には関根小学校水窪冬季分校があったとのこと(昭和45年閉校)。
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