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◆塩荷谷(しおにだに



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高田西部」(昭和22.2)を使用したものである

在:上越市塩荷谷
地形図:高田西部/高田西部
形態:山中に家屋が集まる
標高:約140m
訪問:2015年11

 

 市街地(高田(たかだ)駅付近)より西南西におよそ3.7km。儀明(ぎみょう)川右岸側の山中にある。
 集落中心部の手前には水田があるが、その路傍には戦歿者の忠魂碑(昭和29年、遺族一同建立)(写真2)が建つ。戦歿者として刻まれた野崎・中澤・野崎・吉田・間嶋の各氏は、当地の出身と思われる。集落には往時からの家屋が2戸(うち1戸は虚空蔵菩薩院。写真6)と、別荘が1戸。当地にはかつて学校(黒田小学校塩荷谷分校)があり、その跡地には碑も建てられている(写真9・10)。
 
資料『金谷村』によると、昭和24年14戸96人。神社は十二社。長者の荷物、特に塩の運搬と留置等に関わっていたことから地名が生まれたと伝わる。高田市史・上越市史によると、昭和45年9戸39人(国勢調査)。『金谷区誌』および高田市史によると、塩荷谷分校は明治28年大貫(おおぬき)小学校雪中派出所として創設。明治45年に新築し後の分教場となる。昭和26年4月、塩荷谷分校と改称。昭和36年、大貫小学校廃校により黒田小学校の分校となる(※)。昭和49年3月廃校。
 「角川」によると、大字塩荷谷は近世の中頸城郡塩荷谷村(当初は塩荷村といった)。明治22年北大崎村の大字となる(のち金谷村→高田市→上越市)。野崎家に鎌倉期の伝承がある虚空蔵菩薩像と聖徳太子像が祀られ、近郷からの参詣が多かった。明治21年19戸126人、昭和46年9戸37人、昭和63年2戸4人。

※ HEYANEKO氏によると、『へき地学校名簿』『全国学校騒総覧

 


写真1 道と農地(以下概ね下流側より)


写真2 忠魂碑

写真3 地名表示

写真4 祠

写真5 寺院および神社の入口

写真6 虚空蔵菩薩院

写真7 神社

写真8 小祠

写真9 学校跡

写真10 学校跡の碑

写真11 古い墓

写真12 家屋

 

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