◆宇連(うれ)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「田口」(昭和34.4)を使用したものである
所在:設楽町川合(かわい)
地形図:海老/田口
形態:谷沿いに家屋が散在する
標高:約360m
訪問:2011年5月・2025年3月
町の南東部、宇連川の上流部にある。
大字川合は町内でも地理的に孤立しており(※)、町内から自動車で訪れるには鳳来町【現・新城市】を経由することになる。
集落では管理家屋が1軒、廃屋が2軒のほか、神社(諏訪神社)が見られた。神社は現在も訪れている人がいるようで、手入れがされている。また集落には学校(神田(かだ)小学校宇連分校)があるが、存在は後から知ったためこれを見ることはなかった。HEYANEKO氏ほかの調査によると、支流(スキャン画像では下方)奥に朽ちた木造の校舎が残っているという。
※ 宇連川水系はほとんどが鳳来町であるが、宇連川の上流部のみを設楽町が取り込んでいる
町誌によると、明治初期6戸33人、昭和36年12戸51人。学校は昭和22年、向貝津地内に教師1人・児童14人で発足。昭和23年嶋地内に新校舎を建設。「山の分校」としてマスコミに取り上げられることもあったが、昭和42年3月廃校。本校も平成7年廃校し、田口小学校に統合している。
近代では製炭が主な生業であり、木材の伐採や木挽き、川での流送などの仕事も行われていた。明治後期から昭和10年代まで、子馬と肥料の生産を目的とした馬の飼育が行われていた(4、5戸)。また蚕の飼育は2戸だけであった。
戦後に川合まで砂利道が通じ、木材搬送のトラックが通行するようになった。
電灯はなく、ランプの生活が離村まで続いた。
諏訪神社は集落の氏神で、祭神は健御名方命。天平時代の勧請と伝わるが真偽は不明。
昭和20年代から40年代半ばにかけての姓と戸数は、戸田4・林4・片桐3・太田2、草野・権田・神谷・菅沼・北川が各1の計18戸。
昭和34年頃から50年代にかけての移転先は、町内2・鳳来町【現・新城市】4・豊川市3・豊橋市2・新城市・一宮市・岡崎市・西尾市各1のほか、戸主死亡2・不明1の計18戸。
2025年、学校跡のある支流を訪問。倒潰した校舎のほか、石仏等(町誌によると庚申塔と山神)を確認。校地の北東にある小山にも登ってみたが、特に何も見られなかった。
|