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◆奥川並(おくかわなみ/オクコーナミ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「敦賀」(昭和26.9)を使用したものである

所在:長浜市余呉町奥川並(よごちょう―)
地形図:中河内/敦賀
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:移転事業
標高:約370m
訪問:2011年6月・2025年5月

 

 町の東部、高時(たかとき)川支流の奥川並川上流部にある
 町誌によると、昭和44年11月末、村(当時)による移転事業により集団移転したという。多くは村が準備した今市(いまいち)の住宅に入居。離村時の各戸の状況は以下のとおり

  人数 移転先 備考
1 横山 3 木之本町【現・長浜市】 自己資金により移転
2 2 村内中之郷(なかのごう)
3 藤田 4 今市  
4 北川  
5 高橋 5  
6 横山 2  
7 山根 4 中之郷 自己資金により移転
8 川上 1 今市  
9 生島(※1) 3  
10 桐畑 5  
11 山根 4  
12 高木 2  
13 木戸 3 中之郷 自己資金により移転
14 高田 5 今市  
15 山崎(※2)  

※1 後述の「家号板」では「生嶋」
※2 後述の「家号板」では崎が異体字。いわゆる「立つの崎」

 昭和44年11月25日、氏神の八幡神社にて離村式。同月29日、分校の閉校式。八幡神社は今市に新たに建立された神社に遷座。戦前は30戸を超える家が製炭で暮らしていたという。
 HEYANEKO氏の調査によると、集落には丹生小学校奥川並分校があり、昭和44年休校、同50年閉校。
 大字奥川並は、近世の伊香郡奥川並村。明治22年丹生(にう)村(のち余呉村→余呉町)の大字となる。明治13年35戸144人(角川)。

 地図を持っていなかったため集落の全容を把握しておらず、林道脇の碑・墓・石仏(写真1)を確認した後に引き返してしまった。なおこの中の「家号板」では先述の家のほかに横山2・阪田2・上嶋・岡崎・堺・中嶋・中原・橋本・廣野・増田・宮崎・村口・山口各1(「崎」はすべて異体字)の家が見られ、計30戸。

 2025年再訪。前回引き返した地点を過ぎると、ほどなくして集落跡に到着した。現地では、多数の屋敷跡や八幡神社の跡のほか、川向かいで学校跡を確認。

 


写真1 「家号板」(左)・「先祖代々之墓」(中)・石仏。墓には「昭和五十四年九月建之」とある


写真2 地名表示
(以下2025年撮影)


写真3 屋敷跡


写真4 屋敷跡


写真5 屋敷跡


写真6 何かの計測設備


写真7 屋敷跡


写真8 屋敷跡


写真9 屋敷跡


写真10 屋敷跡


写真11 谷と階段


写真12 屋敷跡


写真13 屋敷跡


写真14 屋敷跡


写真15 何かの石塔


写真16 横穴


写真17 神社社標。「昭和十五年八月建之」「日支事変従軍記念」とある


写真18 神社跡


写真19 学校前の橋


写真20 校舎跡

 

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