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◆辰巳屋新田(たつみやしんでん)

所在:天川村塩野(しおの)
地形図:南日浦/山上ヶ岳
形態:川沿いに家屋が散在する?
標高:約650m〜?
訪問:2019年5月

 

 熊野(くまの)(※)の支流、塩(しお)谷の上流部にある。なお道路地図や地図サイトでは塩野に含まれており、大字としては廃止か。
 「角川」によると、大字辰巳屋新田は近世の吉野郡辰巳屋新田。明治22年天川村の大字となる。明治期に無住地となった。地名は鎌倉期(あるいは江戸末期ともいう)辰巳屋藤十郎という者が新田を拓いたことにちなむ。谷筋の旧田地から約100m以内の地区は、大字辰巳屋新田となっている。
 また村史には、「…塩野の北方山中に辰已屋新田(表記ママ)の集落があったが今はなく、314町歩の田もほとんど山林となっていて、わずかに残された56反の田を塩野から耕作に行っている。庵を建て番人が宿泊し、夜シシ追いの仕事などもしている由である」とある。
新田には屋敷跡と伝える約6畝の屋敷田、7軒ばかりの屋敷跡、宮屋敷跡・寺屋敷跡が残る。無住となった後も盛時には源流地域から応仁谷まで水田が連なり、約15軒によって耕作され、寝泊まりする小屋が10ほどあったという。現在はホトケオの一画を除きすべて植林。

 2019年訪問。塩野集落より林道塩野新田線に入りしばらく進むと、「辰巳屋新田」と書かれた看板が置かれている。この辺りでは主に林道よりも山側に水田跡があり、屋敷跡のような一角も見られた。さらに先述の「ホトケオ」と思われる「佛尾」と記された尾根には、明るく開けた水田跡が広がっており比較的最近まで耕作されていたことが窺える。
 これを過ぎるとしばらく農地は見られないが、「うるし谷」との合流部付近からは塩谷に沿って水田跡が連なっている。このうち「いの谷」との合流部には造林小屋(写真15)が残り、「塩野造林地」と記された碑が建てられている。
地形図上で677mの標高点が記されている辺りで水田跡が途切れており、探索はここまでとした。

※ 村内での呼称は天(てん)ノ川

 


(写真1 林道塩野新田線起点)

写真2 地名の看板

写真3 集落内の道(以下「辰巳屋新田」付近)

写真4 水田跡

写真5 農耕機械

写真6 屋敷跡?

写真7 農耕器具

写真8 三叉路の巨木(以下「佛尾」付近)

写真9 道

写真10 水田跡

写真11 写真10の小屋

写真12 写真10の索道の搬器

写真13 水田跡(以下塩谷沿い)

写真14 同

写真15 小屋と碑。小屋には「試験造林地事務所」、碑には「塩野造林地」とある

写真16 水田跡

写真17 同

写真18 同

写真19 同

写真20 同

 

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