◆道湯川(どうゆかわ)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「龍神」(昭和28.7)を使用したものである
所在:田辺市中辺路町道湯川(なかへちちょう―)
地形図:恩行司/龍神
アクセント:ドーユカワ
形態:山中に家屋が集まる
標高:約400m
訪問:2007年10月・2010年6月ほか
町の北東部、本宮町【現・田辺市】との境にある。熊野古道(中辺路)沿いの集落で、熊野九十九王子のひとつ、湯川王子がある。
大字道湯川は近世の牟婁郡道湯川村。明治22年近野(ちかの)村(のち中辺路町)の大字となる。
かつての家々は湯川川(ゆかわ-がわ)中流の小さな平地に集中するのみで、その規模は昔からたいへん小さい。町史が引用する「続風土記」によると、明治6年9戸、男18人・女20人。昭和24年7戸24人。
大字内には大地谷(王地谷(おうちだに))・広田・岩神(いわがみ)・熊瀬川(くませがわ)・津々良の5字。熊瀬川には熊瀬川王子跡・媒人茶屋跡。岩神には岩神王子跡、王地谷には湯川王子(=道湯川20番地)がある。
集落は湯川川沿いにあるが、熊瀬川谷から林道(道湯川線)を入ると近くまで自動車で行くことが可能。なおかつての生活道も湯川川を遡るものではなく、熊瀬川谷から尾根を越えるもの(※1)。林道の開通は昭和40年であるので、無住となるまで利用されていた。
現在集落跡には廃屋(※2)(写真1)が1軒残るのみ。周囲には数軒の屋敷跡が確認できる。そのほか墓地が2箇所で、一方は「湯川一族の墓」(写真5)として案内板もある。もう一方は相当古く、苔むした墓石が散乱している(写真7)。ほか石垣で段々になった田の跡や、南部の高みには小さな社(写真6)が見られた。
以下は湯川王子に建てられた案内板より抜萃。
(略)参詣の途上、ここで宿泊や休憩することが多く、上皇・女院の御所や貴族の御所が設けられました。この地は、戦国時代に御坊平野を中心に紀南に勢力をふるった湯川氏の発祥の地と伝えられ、(中略)。江戸時代には、本宮町の湯川(下湯川村)と区別するために、道湯川村と呼ばれ、(中略)もともと山中の小村でしたが、昭和三十一年(一九五六)無人の地になりました。現在の王子社の建物は、昭和五八年に再興されたものです。
湯川家の近縁の方の話では、古くは義務教育の免除地だったという(通学区は隣の大字野中(のなか)であった)。湯川姓・阪本(さかもと)姓。
※1 平成23年9月の台風12号により湯川川沿いの熊野古道が通行止めとなり、同24年3月迂回路として整備された。同月10日開通
※2 かつての住民(坂本氏。昭和15年まで居住)の話によると、林業を営む会社の事務所兼飯場とのこと
|