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◆今立(いまだち)



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「津和野」(昭和33.5)を加工し使用したものである

所在:津和野町左鐙(さぶみ)
地形図:安蔵寺山/津和野
アクセント:イマダチ
形態:山中の一軒家
標高:約380m(左鐙の中心部は約120m)
訪問:(2015年8月)・2024年11月

 

 大字左鐙の中心部から、北側の山中に上がった場所に孤立。
 町史によると、昭和37年の時点で1戸。
 また資料『左鐙誌』によると、今立家は天明(1781-89)の頃より当地に居住し、転居したのは8代目の時であるとのこと。7代目の頃明治の名字義務化に当たり、地名を取って今立を姓とした。
 かつて居住していた今立(いまだち)
家は左鐙に移転しており、当主によると離村は昭和38年(※1)とのこと。
 登り口まで案内していただき農地跡が見え始める所までは順調であったが、道はここで消滅。この地点を中心に周囲を丹念に調べたが、古い墓(今立とは無関係)と炭焼き窯跡が見られたのみであった。後に確認したところでは、屋敷跡はさらに上方にあったとのことで、あと少しのところで引き返してしまったことになる。なお墓地は移転したようで、左鐙の墓地に今立家の墓も置かれている。
 なお町史では、左鐙の孤立家屋群
(※2)を、外部から様子を窺えない反面内部からは周囲が見渡せることや、城郭のような防備的な地形などといった観点から、平家残党の土着の可能性を示唆している。

※1 『左鐙誌』には、「昭和二十三年現在のところに移る」とある
※2 言及があるものは
青松平野のみだが、「(青松・平野)及びその附近の状況をみても…」とあり今立や肱川も含んだ表現になっている

 2024年訪問。前回と同じ道をたどり、農地跡に到達後は徐々に宅地のある方向に近づくように斜面を登った。
 現地では屋敷跡が見られたものの、周囲に農地があったような平坦部はほとんどない。後方は広く竹林になっているが、意外なほど整然としている。

 


(写真1 道中の古い墓。三浦氏の名と「慶應元丑」「釈應現不退」の文字が見られる)
(2015年撮影)

写真2 屋敷跡の石垣
(以下2024年撮影)

写真3 屋敷跡


写真4 屋敷跡にて


写真5 谷(農地跡?)


写真6 周囲の竹林

 

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