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◆奥殿(おくとの?)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「日原」(昭和33.5)を使用したものである

所在:津和野町添谷(そえだに)
地形図:日原/日原
形態:谷沿いに家屋が散在する
標高:約90?〜210
m
訪問:2024年11月

 

 大字添谷の南東部、奥殿川(高津(たかつ)川二次支流)沿いにある。
 町史によると、昭和37年の時点で奥殿下4戸、奥殿上2戸。奥殿上はさらに蜷ヶ谷・こうら谷・十郎藪といった小地区からなっていたよう。
 同書での住民への聞き取りによると、現在(昭和35年)7戸。もっとも古いものは蜷ヶ谷で、かつて2戸あったが1戸が青原へ、もう1戸(大庭氏)が日原に転出、その後須川谷からの転入があったがこれも畑迫へ転出しして無住となっている。これに次いで古いのはこうら谷で、松江に転出後に転入者が居住。水田はあるが、みな外で仕事をしている。炭焼きは僅か。かつては農業ばかりで、冬は藁仕事や米搗き、樵仕事くらいで、儲けはなかったという。

 現地は蜷ヶ谷までは添谷方面から林道が、十郎藪も葛ヶ峠から車道が通じており、それぞれ車輛での訪問が可能。
 まず下流の奥殿下(地図画像で左上)では、人家があった形跡がほとんどなく林道沿いに水田の跡が見られたのみ。いくらか見られる陶片が僅かな生活の痕跡といえる。
 蜷ヶ谷(地図画像で中央から右下に分かれる支流沿い)では生活の痕跡はまったく見られなかったが、宅地の位置を誤っていたよう。
 十郎藪(地図画像で右端中央の谷沿い)には管理された新しい家屋が見られる。道中にある墓(豊田家)は同家のものか。
 こうら谷(地図画像で十郎藪の下流の建物)は十郎藪経由で訪問。道は明瞭で、谷沿いで屋敷跡を確認。
 ほか町史の地図には奥殿下の上流に神社が記されているが、これは未確認。

 


写真1 屋敷跡付近?(手前は林道)(以下奥殿下)

写真2 林道と水田跡(右)

写真3 石垣


写真4 陶片


写真5 水田跡(蜷ヶ谷)

写真6 家屋

写真7 小屋と水田跡

写真8 十郎藪‐こうら谷間の道

写真9 谷と水田跡

写真10 屋敷跡

写真11 屋敷跡にて

 

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