◆大平(おおびら)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「須佐」(昭和22)を使用したものである
所在:阿武町福田上(ふくだかみ)
地形図:長門新市/須佐
形態:谷沿いに家屋が少数集まる?
標高:約370m
訪問:2015年8月
大字福田上の南東部。田万(たま)川支流の金谷川最上流部に位置している。
下流側の弥富下(やどみしも)・上流側の福田上、いずれの方面からも道が通じているが、訪問は福田上側より。地図上での道は破線となっているが、実際は車輛も通行可。現地では何かの廃屋と屋敷跡と思われる平坦地(いずれも最近の地図で建物として記載)、谷に沿った農地跡のほか、石仏群(写真5)や神社(写真6)が見られた。神社には電気も引かれ、定期的に管理がなされていることが窺える。境内には別に小さな社があり、脇に置かれた牛の像が特徴的(写真7)。
後日福田地区の元住民よりいただいた情報によると、当地の児童・生徒は萩市弥富地区へ越境通学していたとのことです。また集落の読みも判明しました。さらに町広報誌「広報あぶ」に掲載された神社(大平恵美須神社)の由来(※)の記事を提供していただきました。この場を借りてお礼申し上げます(2016年4月追記)。
※ 概要は次のとおり。
その昔、福田やその周辺の村々では牛馬の疫病が蔓延していた。新六という者が代表となり平癒を祈願し続けたところ、疫病は終熄する。新六は感謝を表すため「年籠り」(大晦日の夜からに宮に籠り、祈りを捧げる)を毎年行った。1645年の年籠りの際、摂州西之宮恵美須の大神より「三太郎という名を与える。これからも益々神事に励め」とのお告げがあり、新六は三太郎と改名。その年のうちに当地に摂州より恵美須大神を勧請し、社を建てて祀るようになった。
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