◆遠石島(といしじま)

※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「小郡」(昭和22.2)を使用したものである
所在:山口市阿知須
地形図:阿知須/小郡
形態:海沿い
離村の背景:干拓事業
標高:数m
訪問:2024年11月
大字阿知須の東部にある。
かつては阿知須港より北東におよそ1.1qほど離れた島であったが、戦後に行われた干拓事業により陸地に取り込まれた。
町史によると、大正7年島内に阿知須造船株式会社が創設し、造船所が設けられたとのこと。
のち昭和4年に設立した阿知須廻船組合が、同6年に当地の阿知須造船を借り受けて利用部とし、船舶の製造・修繕等を行った。昭和14年、施設の一切を組合が買収。昭和18年、任意組合である海運組合に改組。戦時中は廻船の就航を阻害する要因が集中し、組合員は激減した。昭和22年、島が阿知須干拓造成地に組み込まれたため、事業は停止。敷地・建物ともに農林省に買収された。
なおこの干拓は、昭和21年に緊急開拓事業として調査が始まったもの。昭和41年に干拓は完成したものの、減反や若者の農業離れといった情勢により、農地としての利用価値を失っている状況となっている(刊行は昭和56年)。
掲載されている「遠石造船所平面図」には、事務所・住宅ならびに倉庫・製材工場・金物倉庫・鍛冶工場・木造瓦葺工場といった建造物のほか、事務所のそばに鳥居が記されている。また島の北側の海面は貯木場で、島の北東端・南東端には東に延びる防波堤がある。
現地には石造のモニュメントと説明板があるものの、島であった頃の名残は見られない。また横に展示されている錨は阿知須が国際貿易港であることを象徴するもので、当地と直接関係するものではない。
以下は案内板「遠石島の由来」より。
この公園のある場所は、かつて山口湾に浮かぶ「遠石島」があったところです。島は、陸地から約600mの沖合にあって、干潮時には、周囲が干潟になり潮干狩りができました。また、恵比須神社十七夜祭の神輿の御旅所、日吉神社の雨乞い霊地として、住民の信仰の地でもありました。
大正から昭和にかけて、造船所も存在し、海運業の振興に寄与しました。
その後、昭和22年(1947年)、国が食糧増産をめざして、干拓事業(286ha)を始めた時、この中に取り込まれ、昭39年(1964年)、完成とともに、その姿を消しました。
昭和63年(1988年)から国・県の事業によって、埋め立て造成が行われ、完成とともに「きらら浜」と名付け、21世紀の幕開けに夢と希望を育む大地として生まれ変わりました。
山口湾唯一の人の住む島であったこと、景勝地であったことなどこの島にかけた先人の思いや夢を永く記憶にとどめ、次の世代へと引き継ぐため、公園を整備し、この石碑を建立しました。
平成13年(2001年3月)
読みは案内板のルビに拠った。
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