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◆船島(ふなしま)
所在:下関市彦島(ひこしま)
彦島の江ノ浦地区より、東におよそ400mにある島。剣豪の佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘の地と伝わり、前者の別名「岩流(巌流)」に由来する「巌流島」の呼称で広く知られる。 市の公式観光サイトには、現在は無人島だが過去に居住者があったことが記されている。島の面積約10.3万平方メートルのうち、約1/3を下関市が、2/3は民間企業が所有。
資料『シマダス』によると、明治中期にはコレラ患者の療養施設が建てられていたという。 さらに資料『下関造船所五十年史』によると、三菱重工業下関造船所による巌流島埋め立て工事は、大正6年8月着工。船舶修繕事業の拡大や船舶の大型化により本土の既存のドックでは対処できなくなり、新ドックの建設および船溜まり・係船岸壁の拡張を目的とした。その後不況・料費の高騰・労働力不足などで難航しながらも、昭和3年4月に完成(※)。 ※ この時は上の地図画像にあるような形であったが、のち彎入部が埋め立てられて現在の形となっている
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![]() 写真1 島遠景(北西より撮影) |
![]() 写真2 船上より船着場を見る |
![]() 写真3 舟島(船島)神社 |
![]() 写真4 案内図。中央が現在、右が埋め立て前の島の姿(下方が北) |
![]() 写真5 佐々木巌流之碑 |
![]() 写真6 建物跡付近。左は便所 |
![]() 写真7 写真6にて。ブルーシートの下に古い煉瓦の遺構が見える |
![]() 写真8 往時の遺物 |
![]() 写真9 建物跡付近 |
![]() 写真10 灯台跡。対岸は福岡県(門司) |
![]() 写真11 小さな入り江。埋め立て初期はさらに200mほど奥まで彎入していた |
![]() 写真12 武蔵・小次郎像 |