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◆九藤中(くどうじゅう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「劍山」(昭和28.9)を使用したものである

所在:つるぎ町一宇字九藤中
地形図:阿波古見/剣山
異読み:くどうちゅう?(旧版地形図)
形態:山中に家屋が散在する
標高:約650m〜
訪問:2011年11月

 

 村の中部、貞光川支流の九藤中川右岸側にある。
 村史が引用する「八面神社由緒書」には、集落の起こりとされる以下のような伝説が記されている(要約)。

 平安時代初期、藤原天皇(※)とその一族が橘大王と戦い、敗走した藤原一族は「八面(やつら)山の麓」(現在の下九藤中)に至る。藤の大樹が九つに分かれて茂る下に小屋を建て、狩などをして過ごしたが翌年に大往生。一族の者は遺体を火葬し、不浄を恐れ八面の峰に祀った。その後一族の者がこの地を永住の地と定め、のち九藤中と名付けた。

※ 史実には存在せず、伝説上の人物とされる

 集落は上流の「奥九藤中」と下流の「下九藤中」に細分され、記載されている家は以下のとおり(「―」は記載なし)。


(奥九藤中)

番号 屋号 備考
1 上藤  
2 蔭西  
3 井ノ元  
4  
5  
6 中奥  
7  
8

 
9 西のいんきょ 上藤  
10 西のおも 奥藤  
11 奥川裾  
12  
13 インキョ  
14 下川裾  


(下九藤中)

番号 屋号 備考
15 松野 工藤  
16  
17 日野地 工藤  
18 はけば  
19 倉石  
20 下藤  
21 たつや  
22 ひがし

 
23 つえの下  
24 いのかしら 藤原  
25 オモヤ 集落開祖の家
26 西屋  
27 ニイヤ 中内  
28 ガラン  
29 九藤中谷 下藤  
30 ぎはち  
31 下藤  


 この31戸のうち農家20(すべて兼業。うちタバコ12)、出稼ぎ7、日雇い労働4。昭和25年37戸231人、同35年37戸246人、同45年26戸108人(国勢調査)。
 電灯の導入が昭和22年3月。同35年頃からプロパンガスが使われるようになる。同28年九藤中林道完成(同45年拡張工事開始)。

 訪問は先述の林道より。下九藤中の登り口付近からはモノレールが敷設され、これは奥九藤中の下部まで続いている。終点付近には家屋や畑などもあるので、度々の出入りに使用されている(されていた?)ものだろう。奥九藤中では数軒の家屋が植林の施されていない下部に見られるが、この背後はすべて植林地。宅地もおそらく全てが屋敷の跡地となっているよう。
 奥九藤中の探索後、高所の荒れた横道より下九藤中へ移動。下九藤中では数軒の廃屋・倒潰家屋や屋敷跡を確認。上部にある藤原神社(写真15・16)は鳥居・拝殿とも新しく状態が良い。付近には広い平坦地があるが、何の場所であるかは不明(写真17)。
 なお奥から下へ移る途中の尾根で、石仏群と小さな社が見られた(写真20・21)。村史によると、祀られているのは「お大師さん」「秋葉さん」「庚申塔」。この一群が祀られている聖地を「お大師さん」と呼ぶという。また社には「本尊 地蔵菩薩 不動明王」と書かれた板が掲げられている。

 

≪奥九藤中≫


写真1 畑

写真2 家屋

写真3 家屋

写真4 家屋

写真5 屋敷跡

写真6 屋敷跡の納屋

写真7 屋敷跡

写真8 墓地

写真9 農地跡
≪下九藤中≫

写真10 倒潰家屋

写真11 廃屋

写真12 屋敷跡

写真13 倒潰家屋

写真14 倒潰家屋

写真15 神社・鳥居

写真16 神社・拝殿

写真17 神社付近の平地

写真18 墓地

写真19 農地跡
≪「お大師さん」付近≫

写真20 石仏など

写真21 社

 

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