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◆元之庄(もとのしょう)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「三島」(昭和22.2)を使用したものである

所在:四国中央市富郷町寒川山(とみさとちょうさんがわやま)
地形図:佐々連尾山/伊予三島
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約660〜720m
訪問:2018年8月

 

 大字寒川山の中部南寄り、猿田川(銅山(どうざん)川支流)の支流沿いにある。
 最近の地図でも複数の建物と地名が見られるが、現存するものは上部の1軒の宅地にあるもののみ(写真14)。ほか複数の屋敷跡と神社跡と思われる一角(写真16)、集落上部では墓地を確認した(写真18・19)。
 なお集落までの道は地形図のものと異なり、送電線が通る鞍部を通過、集落のある谷に降りるものとなる。鞍部を過ぎるとやや荒廃し、川に流されている部分では道を失いやすい。

 資料『伊予三島市 嶺南』および市史によると、かつては8戸。正応3(1290)年、尾張国平田村の地頭・高橋嘉文治(※1)が家来とその家族を伴い来住して土地を拓き、地名を「元之山」としたとのこと。孫の代に平田村の氏神であった八大龍王を祀り、また尾張の金剛山光明院の僧・英正をを迎え、乾元年間(※2)には竹林寺を創建。この年地名を「元之庄」と改めた。
 当時は街道が上長瀬(かみながせ)から元之庄・坂瀬(※3)を経由し土佐に通じており、宿場として栄えていたという。宝徳3(1451)年焼失し、上長瀬の真観寺に併合された。

※1 『〜嶺南』では「喜文治」とあるが、市史の表記に拠った
※2 『〜嶺南』では乾元2(1302)年3月、市史では乾元3(1303)年
※3 現在の高知県本山町沢ヶ内(そうがうち)の北側飛び地、汗見川上流にある地域

 


(写真1 猿田川に架かる橋)

(写真2 道中の橋の跡)

(写真3 電柱。「元之庄」と見える)

写真4 集落到達地点

写真5 集落内の道

写真6 平坦地(屋敷跡?)

写真7 個人の墓(高橋氏)

写真8 平坦地(屋敷跡?)

写真9 屋敷跡

写真10 屋敷跡の一部

写真11 屋敷跡の一部

写真12 平坦地

写真13 屋敷跡

写真14 屋敷跡

写真15 石仏

写真16 神社跡?

写真17 写真16そばにて。手水鉢?

写真18 墓地

写真19 同

 

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