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◆間島(まじま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「行橋」(昭和23.10)を使用したものである

在:北九州市小倉南区曽根新田(そねしんでん)
地形図:苅田
/行橋
形態:海沿いに家屋が少数集まる?
標高:数m?
訪問:2025年7

 

 中曽根東地区の海岸より、東に1.6qほどにある島。曽根干潟の中にある。

 資料『シマダス』によると、戦後に居住者があり、井戸や住居が見られたとのこと。江戸時代末期には長州藩との戦に備え、小倉藩民兵の大砲訓練の標的となった。また、小倉城の石垣に用いる石材を切り出していた。第二次世界大戦中には塹壕が掘られ、日本軍が常駐。サーチライトを据え付けて敵機を照射し、北西にある足立山から砲撃していたという。
 現在は地元住民の共有地となっており、島内にある祠は管理組合によって維持されている。

 島は大潮の干潮時に徒歩で渡れるという情報をもとに、日時を合わせ訪問。曽根漁港に通じる連絡道路より島までの距離を縮め、干潟を歩いて上陸した。道のそばは泥がやや深いものの、これを抜けると比較的足元は安定する。またこの時の干潮時の潮位は苅田での値で20cmであったが、島内の探索を含めて往復するには十分な時間であった。
 潮位の変化に不安があったため探索は急ぎ足となったが、島の南西で建物の遺構、鞍部に石造物、西で管理された祠が見られた。頂上は窪地になっているが、先述の戦争に関連する遺構だろうか。また三角点は見つけることができず。

 


写真1 島遠景(南西より撮影)

写真2 建物跡

写真3 井戸など

写真4 石造物

写真5 頂上の窪地


写真6 祠


写真7 電気関係の設備

写真8 砂洲。遠景は曽根方面

 

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