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◆頓田(とんだ)貯水池水没集落群(仮称)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「折尾」(昭和23.4)を使用したものである

所在:北九州市若松区頓田・同竹並(たけなみ)
地形図:折尾/折尾
形態:川沿い・谷沿い
標高:約10m〜?(水面は約15m)
訪問:2025年7

 

 現在の頓田第二貯水池に水没した地域で、大字頓田の中部および竹並の東部に亘る。
 旧版地形図では頓田に頓田・三郎丸、竹並に神田(じんぜ)といった集落名が見られるが、個々に関する情報に乏しいためここでは一括して扱う。

 市史によると、頓田第二貯水池は昭和36年完成。のち水の需要の増大が予想されたため、昭和35年より拡張工事に着手し同42年に完了している。なお頓田第一貯水池は昭和27年に完成(※1)

 過去の地形図と照らし合わせると、「三郎丸」の一部?(地図画像で、「三」の字の上)が水没を免れている。また神社(後述)が貯水池建設前から同じ場所に鎮座していることが分かる。
 遊歩道で貯水池を1周し、頓田と神田は遠景のみ、三郎丸は付近の水面に降りてみたものの、往時の痕跡は皆無。先述の「三郎丸」の一部?も、緑地として整備されておりやはり痕跡は見られない。ただしその東の山林には墓地や祠・地蔵がある。墓は多くが柴田氏だが、大庭氏のものも見られた。
 なお第一・第二貯水池の間にある稜線上には日吉神社が鎮座する。
 貯水池の南には複数の小祠が祀られた場所があるが、解説によると第二貯水池の建設に伴い、今丸地区・菊能地区の8箇所に祀られていたものを昭和33年9月にこの場所に合祀したとのこと(写真11)。祀られている神は、猿田彦神社・天神神社・猿田彦・疫病神社・今宮神社・貴船神社・彌勒神社・外猿田彦の8柱。

 『若松市史』によると、日吉神社は由緒不明。明治5年村社に定められている。鎮座地は字今丸。祭神は大宮大山咋神・大三輪大物主神・高〓神・闇〓神(※2)。氏子は頓田87戸。
 なお
高〓神・闇〓神は字建清・菅ヶ谷に無各社貴船神社として祭祀されていたものを、明治44年に合祀したもの。境内社として恵比須神社・菅原神社が祀られている。

※1 『若松市史』によると、昭和14年より土地買収が行われ、昭和16年工事に着手。戦争のため同18年一時中断。家屋移転は三十八戸。また「昭和三十年北九州水道組合拡張工事のため、第二次土地買収をなした」とあるが、第二貯水池建設に向けてのものか(刊行は昭和34年)
※2 〓は「靈」の「巫」が「龍」になったもの。「龗」。前者は「たかおかみのかみ」、後者は「くらおかみのかみ」

 


写真1 「頓田」を望む

写真2 「頓田」東の「大北亭」。北九州市と中国・大連市との友好都市締結3周年を記念したもの

写真3 神社。鳥居

写真4 同。拝殿

写真5 「三郎丸」付近

写真6 同

写真7 「三郎丸」の一部?付近(非水没地)

写真8 地蔵

写真9 小祠など

写真10 「新田」を望む

写真11 祠

 

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