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◆上ノ滝(かみのたき)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「背振山」(昭和21.10)を使用したものである

在:大野城市牛頸(うしくび)
地形図:不入道
/脊振山
形態:谷沿い
離村の背景:(非居住地?)
標高:約170m
訪問:(2014年11
月)・2025年7月

 

 大字牛頸の南西部にある。
 上流にある「大野城いこいの森」の職員の話によると、元々住居があった場所ではないとのこと。ただし製炭が行われており、建物があったとすれば炭焼小屋といった類ではないかという(※)
 市史民俗編の「村落」の章、旧牛頸村の概要においても同様に、当地は居住地としては触れられていない(大正時代の様子の聞き取りや明治5年の資料の引用がある)。
 施設内をひと通り回ってみたが、これといった痕跡は皆無。

 2025年再訪。旧版地形図に記された建物の場所を改めて探索した。なお初回訪問時は経験不足からの誤認があり、「大野城いこいの森」のキャンプ場の付近と推定していた。
 実際の現地では、石仏や碑の置かれた平坦地(碑によると池田家菩提所)や多くの石造物、神社の跡のような場所が見られた。神社跡?の前には比較的新しい「真名井橋」が架かる。また付近には廃材がまとめられており、社殿の解体は最近であったよう。居住の有無は不明だが、「池田家菩提所」に建物があったことはそれとなく窺える。

※ 初回訪問時は「大野城いこいの森」のキャンプ場の辺りと推定していたため、その周辺に限った話である可能性がある

 


写真1 建物跡?の平坦地。右の台座の上には石仏が置かれている

写真2 写真1の石仏

写真3 写真1の碑。「池田家菩提所之碑」などとある

写真4 写真1脇の石段

写真5 写真4上の平坦地

写真6 写真5にて。石仏の龕か。福岡市の津上氏が建立した旨が記されている
 
写真7 同。石仏の一部?

写真8 穴蔵状の祠。上には石塔が建つ(崩し字で判読できず)

写真9 石仏(右下)と龕?の一部(左上)(写真6と同じ造り)

写真10 右岸の階段。現在の道路の上に出る

写真11 神社?の前の橋。「真名井橋」とある

写真12 神社跡? 後方に拝殿があったか

写真13 車道沿いにて。何かの痕跡? 

 

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