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◆妻ヶ島(つまがしま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「蘆邊」(昭和21.11)を使用したものである

所在:壱岐市石田町妻ヶ島(いしだちょう―)
地形図:印通寺/勝本
形態:平坦地の一軒家
標高:10数m
訪問:2024年11月

 

 印通寺(いんどうじ)の中心部より、南に700m強にある島。
 現在は企業により野外レジャーの場として供されており、道などがある程度整備されている。
 島内では神社や家屋、墓地(百崎氏)が見られたが、農地はほぼすべてが荒蕪地となりかつての面影はない。島の南端には海の方向を望む石仏が見られたが、地形図にある三角点(13.6m)は確認できず。また島内の最高地点?(最近の地形図で25mの標高点があり、旧版地形図で「独立樹」の記号がある場所)も訪れてみたが、特に何も見られなかった(写真17)。

 資料『シマダス』によると、江戸時代から1軒の島守が定住し、近年まで百崎家の13代目が居住していたが、平成14年に無住となったとのこと。昭和63年に無線電話が開通し、電気は自家発電で生活していた。島の6割以上は農地であり、米や麦・サツマイモなどが生産され、ミカン園もあったという。また島内では良質な粘土が産出され、瓦工場もあった。
 町史によると、耕作者の多くは印通寺の君ヶ浦の住民で、みな船により通っていたとのこと。島内にある衣通姫(そとおりひめ)神社は、勧請時期は不明、祭神は衣通姫命。氏子数30戸。
 また雑誌「逓信協会雑誌」の「日本列島、電話の最前線」と題した記事には、「人が住む島で電話がないのは最近まで二島だったが、今年(※昭和53年発行)の二月二十二日に沖繩県八重山郡由布島(二世帯五人)に二本の電話が架設されて、ついに有人島では長崎県壱岐郡の妻ヶ島(一世帯十一人)のたった一島のみとなった」という記述がある。

 


写真1 波止場と印通寺遠景

写真2 波止場からの道

写真3 池

写真4 開けた場所(農地跡)

写真5 貯水設備

写真6 車輛

写真7 車輛と農耕機械

写真8 貯水設備

写真9 道

写真10 水場?

写真11 農地跡の石垣

写真12 水田跡

写真13 神社

写真14 境内にて

写真15 東の浜

写真16 石仏と海

写真17 島の最高地点

写真18 墓地

写真19 島遠景

 

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