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◆上小高島(かみこだかしま)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「佐世保」(昭和21.11)を使用したものである

所在:佐世保市高島町(たかしまちょう)(あるいは浅子町(あさごちょう)?)
地形図:楠泊/佐世保
形態:海沿いの一軒家?
標高:数m?
訪問:2025年7月

 

 市内浅子町(あさごちょう)の漁港より、西におよそ1.1qにある島。
 資料『シマダス』によると、戦前・戦後の一時期には料亭の「洗鱗洞」があり、竜宮城とまで形容されていたという。海軍佐世保鎮守府や富裕層などの接待場所として利用された。現在袋ヶ浦と呼ばれる西岸の湾口南岸に、料亭の石垣や石橋跡、皇族来島時の奉迎記念と記された石碑、俳人青木月斗の句碑などが残るとのこと。昭和27年人口15人、同31年から40年までは2人(県統計年鑑)。また南西岸の入り江には真珠養殖の作業所跡がある。

 上陸は島中央の入り江の入口(料亭跡付近)より。南部をメインに探索したのち、料亭の対岸まで回り迎えの船に乗った。
 袋ヶ浦の入口には石橋の跡があり(写真3)、往時は浦の入口を行き来できたよう。しかし現在は崩落し、潮位が上がると往来が不可能となる。ほか島内では、先述の料亭跡と石碑、真珠養殖の跡地を確認した。料亭跡には設備が比較的新しい浴場の建物があるが、廃業後に新しく設けたものだろうか(写真11)。
 また島内の複数のピークにも登ってみたが、特に何も見られなかった。
 なお船主によると、中央の入り江では魚の養殖が行われていたという。
 以下は料亭跡の「各宮殿下奉迎記念」の碑文。


 建碑ノ詞

大正拾四年以來
各宮殿下ヲ此ノ地ノ奉迎ス此ノ無上ノ光榮ヲ記念セント按劃中偶〓(※)今夏今村佐世保鎮守府司令長官並武井經理部長ノ両閣下御來遊アリタルヲ機トシ題字ヲ今村中将閣下ニ裏面ノ文字ヲ武井主計少将閣下ニ揮毫ヲ請ヒ茲ニ年來ノ宿志ヲ達スルコトヲ得歓喜ニ堪エス仍テ此ノ碑ヲ建ツ

 昭和拾年拾月
 洗鱗洞主人 富村與三郎敬白

※ 〓は縦書きの漢字の踊り字。「〻」

 


写真1 島中央部の遠景(西側より撮影)

写真2 「袋ヶ浦」の入口

写真3 石橋の跡

写真4 写真2の北側、突堤と橋脚のような遺構

写真5 写真4にて。「S34.10 吉日」とある

写真6 同。何かの送水設備

写真7 「袋ヶ浦」入口の南側、料亭入口の石段

写真8 料亭の門(以降写真13まで料亭跡付近)

写真9 碑。「各宮殿下奉迎記念」とある

写真10 句碑

写真11 料亭跡にて。左は浴場

写真12 建物跡

写真13 遺構。住居であったか

写真14 袋ヶ浦

写真15 島南部の養殖場跡

写真16 写真15の倒潰建物

写真17 島の頂上(地形図上の43mの標高点)

写真18 島南東部の浜

 

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