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◆長島(ながしま)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「早岐」(昭和21.10)を使用したものである

所在:西海市西彼町小迎郷(せいひちょうこむかえごう)字長島
地形図:川棚/早岐
形態:海沿いに家屋が集まる
標高:数m
訪問:(2025年7月)

 

 八木原郷(やぎはらごう)の黒崎(=海岸地形の名)より、東におよそ950mにある島。

 資料『シマダス』によると、永く地元の朝長家の所有地であったが、明治41年養殖技術者の西川藤吉と朝長家六男の渡辺理一の両氏がこの島で真珠養殖事業に着手。同42年には真円真珠第1号が完成し、「真円真珠の発祥の地」として知られるようになったとのこと。大正3年には市場に初出荷。同10年まで事業が継続された。
 昭和35年の国勢調査では7人の人口を数えていたが、のち無住となった。平成27年にハウステンボスが島を取得し、同30年夏から体験型アトラクションが開設。

 上陸はせず、渡船より遠景を望んだのみ。過去の航空写真では島の北西・西の入り江・入り江の南部にそれぞれ建造物が見られるが、これらのいずれかが人家であったと思われる。
 アトラクション利用者は西の小島の桟橋より下船、そこから橋を渡って本島に上陸するが、過去の航空写真より桟橋・橋ともにアトラクション開設後に設けられたものであることが分かる(ただし本島から小島に向かって延びる突堤は往時からのもの)。

 なお町郷土誌には、小迎郷の小字として「長島」が見られ、読みは「ナガジマ」とある(地番3673-1〜3673-16)。
 また同書によると、真珠の技術研究は長島のほか三重県の伊勢湾・淡路島の福良湾の3箇所で試みられたとのこと。明治41年の養殖場設立当時は長島に電気もなく、技術的に未知な部分も多く困難も極めたが、大正中期には住宅5戸も完成し事業も年々業績を上げていった。大正10年、諸種の事情による解散後は高島真珠に譲渡され、のち四国の好養殖場を求めて移転した。

 


写真1 島遠景(北西より撮影)。左が本島、右が桟橋のある小島

写真2 北西の建物跡遠景

写真3 入り江の遠景

写真4 桟橋。本島とは橋で連絡している

 

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