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◆二子島(ふたごじま)
所在:長崎市高島町(たかしままち)
高島の南部。現在は陸続きとなり高島の一部となっているが、かつては上二子島(かみ―)・下二子島(しも―)の2つの島であった。炭礦の開発に伴い鉱山街が形成された。 資料『日本の鉱山集落』によると、上二子島・下二子島間は炭礦のボタによって明治末年までに埋め立てられ、1つの島となったとのこと。また大正期にはボタの埋め立てで島の面積を拡大した。大正14年には高島との間を築堤により連絡し、昭和10年代に至って高島との間に埋め立てによる陸繋化を進めていった。また高島と二子島の間の埋立地に、昭和24年頃光町社宅団地が建設されている。 また資料『高島町文化史』(昭和24年初版)によると、付図「高島全島圖」に二子社宅(459戸)・発電所・事務所・病院・運炭場・商店街・桟橋・積込場といった施設や設備が見られる。 さらに資料『高島炭砿史』によると、二子坑の開発は明治40年に下二子島において始まり、7月に第一斜坑・第二斜坑の開鑿に着手した。明治44年7月に斜坑の掘鑿が終わり、水平部の掘鑿に移行、第一水平坑道は大正2年1月26日、第二水平坑道は同年2月3日に炭層に到達した。大正2年出炭開始。直後の状況は芳しいものではなかったが、大正末期より高島礦業所の操業の中心となっていた。 なお高島炭礦の閉山は昭和61年11月。
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![]() 写真1 かつての島を望む。右は上二子島、左奥は下二子島 |
![]() 写真2 かつての島の北端付近 |
![]() 写真3 上二子の山。手前は施設群跡 |
![]() 写真4 施設群跡のフェンス。二子立坑跡か |
![]() 写真5 往時の建物 |
![]() 写真6 上二子・山上の社宅跡の石積み |
![]() 写真7 社宅跡の入口(北側) |
![]() 写真8 同(南側) |
![]() 写真9 小屋 |
![]() 写真10 社宅の遺構 |
![]() 写真11 同 |
![]() 写真12 同 |
![]() 写真13 同 |
![]() 写真14 上二子の石積み。道路からも確認できる |
![]() 写真15 貯炭場跡付近。現在はグラウンド |
![]() 写真16 下二子の山 |
![]() 写真17 写真16にて。煉瓦やコンクリートが使用されている |
![]() 写真18 同。往時の遺構 |
![]() 写真19 下二子の展望地 |
![]() 写真20 展望地より貯炭場・選炭場・上二子を望む |
![]() 写真21 展望地の管理道路より社宅群跡方面を望む。撮影地の足元付近に発電所があったよう |
![]() 写真22 南端の施設跡 |
![]() 写真23 同 |
![]() 写真24 南端より望む端島(軍艦島) ※ トリミングにより拡大したもの |