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◆鷹島(たかしま)

※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「大村」(昭和21.11)を使用したものである
所在:時津町日並郷(ひなみごう)
地形図:長浦/大村
形態:海沿いに家屋が集まる
標高:数m
訪問:2025年7月
日並郷の赤崎(=岬の名)より、北東におよそ500mにある島。集落は島の中央部の南岸にあった。
資料『シマダス』によると、昭和30年9世帯59人(県統計年鑑)。昭和50年に無住となった。かつては南岸沿いに数軒の民家があり丘陵地にミカン畑などが開かれていたとのこと。キリシタン弾圧により島内で殉教した神父の殉教碑が置かれ、信徒により巡礼や清掃が行われているという。
また町郷土誌によると、かつては10戸ほどの民家があり漁業を営んでいたが、昭和47、8年頃木場崎に移住。無住となった後もミカン畑での農作業や島の周囲で行われる漁業関係の仕事場に利用されているとのこと。
現地には廃屋も含め数棟の家屋が残るが、近年はほとんど利用されていないことが窺える。また集落の中央やや西寄りには2基の題目碑が置かれている(写真3)。
また最近の地形図では島の至る所に果樹園の記号が見られ、過去の航空写真では島内で広く果樹が栽培されていることが分かるが、現在は島の中央のやや東側に小さな畑が耕作されているのみ。
先述の殉教碑はこの畑から稜線の道に入り、東のピークを過ぎた辺りにある。以下はその碑文。
二代将軍秀忠の詰問を受け背教し迫害者となった大村領主純頼は一六一七年(元和三年)五月二十二日大村群村においてペドロ、マシャド両神父を殺害した。各地で次々に信徒が捕えられ処刑される中で棄教者の増加を危惧した宣教師ナワレト、エルナンド両神父は公然と宣教を始め多くの信徒に秘跡を授け彼らを励ました。それゆえ長与村で捕えられ、すでに嶽中(※)にあった伝道者レオ田中と共に一六一七年六月一日この鷹島の地で処刑された。彼らの遺体は先の二人の宣教師の遺骸と共に水深三十尋の大村湾に捨てられ今日に至るまでそこに眠っている。
主・キリストに命を捧げてその信仰を証した殉教者を顕彰し、彼らと共に主を称え同じ信仰を告白しつつここにこの碑を建てる。
なおこの碑は一九七七年六月一日を当日滑石小教区時津地区信徒によって建立されたものを、老朽化のゆえ善意の方々のご寄付を基に時津小教区信徒によって祭壇を付設し再建されたものである。
一九九五年六月一日
カトリック長崎大司教区・時津教会信徒会
「殉教者顕彰之碑」
※ 本文ママ
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