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◆板谷(いたや)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「日向青島」(昭和29.1)を使用したものである

所在:日南市北郷町北河内(きたごうちょうきたかわち)
地形図:坂元/日向青島
形態:川沿いに家屋が散在する
離村の背景:災害のおそれ、のちダム建設
標高:約300m
訪問:2024年12月

 

 大字北河内の西部、広渡(ひろと)川沿いにある。

 町誌(平成20年刊行)によると、昭和47年6月の集中豪雨で斜面に多数の亀裂が発生。昭和48年危険地域に指定され、13世帯が郷之原新町地区に建築された住宅に集団移転したとのこと。集団移転前は26戸(※)で、ほとんどの家が山林・農業で暮らしていた。
 元来地辷り危険地帯であり、亀裂のひどかった山腹の下の13戸が移転を決意した。町は住民の要望を受け、直ちに集団災害移転促進事業の指定を県・国に働きかけた。専門家による地質調査の結果、防災工事よりも避難するほうが得策と判断され、移転を促進させた。移住先の用地である北郷小学校下の新町地区では、水田を買収し、昭和48年10月より用地造成に取り掛かった。移転は昭和49年4月より。板谷は戸数が半減するが、水田所有者が多く農繁期は通いの農業となった。

※ 上流の横谷を含めた数字か

 町史(昭和40年刊行)によると、当地にあった板谷小学校の主な沿革は以下のとおり。

 明治初期  (浜砂氏により、寺子屋式の学問所が開かれる)
 明治24  (移転。代用教員が教育に当たる)
 明治40  板谷小学校開校
 昭和4  第二北郷小学校の分教場となる
 昭和10  現在地の下方に新築移転
 昭和22.9  独立認可。板谷小学校となる
 昭和23  槻之河内に分校開校
 昭和24.10.15  現在地に移転。旧校地は運動場として拡張

 また児童数の推移は以下のとおり。

年度 昭和28 昭和29 昭和30 昭和31 昭和32 昭和33 昭和34 昭和35 昭和36 昭和37 昭和38

児童数

81 73 66 60 65 65 75 74 61 61 47

 なお北郷中学校板谷分校は、昭和23年4月開校(板谷小学校に併設)。昭和35年閉校。
 神社として板谷神社があった。祭神は大山祇大神。往時は横谷の西の山上に鎮座していたが、昭和27年今の地に遷座。

 さらにHEYANEKO氏によると、当地は広渡ダムの建設に伴い昭和59年頃無住となったとのこと(ダム竣工は平成5年)。小学校は昭和44年閉校。

 現地は比較的交通量のある県道沿いにあるものの、集落の痕跡は乏しい。地形図でも記されている墓地は現在も管理され、川越・松浦・松田・高野といった姓が見られた。神社は既に管理されておらず、社殿が倒潰している。学校跡は楠平橋から見下ろせる土場付近だが、その名残は見られない。
 なお左岸でも1箇所の屋敷跡が見られた。

 


写真1 墓地

写真2 屋敷跡付近?

写真3 屋敷跡付近?

写真4 学校跡付近

写真5 何かの建物

写真6 屋敷跡

写真7 養魚施設跡?

写真8 神社跡

写真9 左岸の屋敷跡

写真10 左岸の農地跡

 

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