◆木浦木(きうらぎ/キューラギ)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「加久藤」(昭和29.7)を使用したものである
所在:小林市東方(ひがしかた)
地形図:白髪岳/加久藤
アクセント:キウラギ・キューラギ
離村の背景:ダム建設?
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約380m
訪問:2013年8月
大字東方の北部、岩瀬川沿いにある。
最近の地図でも地名と建物が記載されているが、現在は浜ノ瀬(はまのせ)ダムの工事に伴い川沿いの建造物は撤去されている。川から数十メートルの高さにある家屋はこれを免れ、現在も管理され頻繁に行き来があるよう。
地元の方の話では、かつては20軒くらいが暮らしていたという。学校もあったが、廃校後の校舎はキャンプ場として利用されシーズンには賑わっていたとのこと。
以下は市史より小学校の沿革。
明治31.12 |
小林尋常小学校木浦木分教場認可 |
明治41.4.1 |
独立。木浦木尋常小学校となる |
大正11.6.1 |
小林尋常高等小学校木浦木分教場となる |
昭和22.4.1 |
小林小学校木浦木分校となる |
昭和24.4.1 |
第一小林小学校木浦木分校となる |
昭和25.8.1 |
小林小学校木浦木分校となる |
昭和40.4.1 |
独立。木浦木小学校となる |
昭和51.3.31 |
閉校 |
また同書で引用している「明治35年に残された文章」からは、当時16戸109人。うち9戸が八重尾姓であったことが分かる。
資料『ここに学校があった』によると、昭和4年より小林営林署の主事が置かれていたが、昭和33年32戸が家族とともに居住し、林業に従事したとのこと。しかし昭和48年には林業の仕事もなくなり引き揚げられた。また地元の住民も、子供の高校進学者が増えるにつれ小林市内等へ転出が増加した。
昭和28年小林中学校木浦木分校開校。同40年独立、木浦木中学校となる。同51年閉校。
昭和34年電灯導入。
学校が廃止された昭和51年3月の時点で就学者のいない13戸が残っていたが、昭和56年全戸が転出。
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