◆青久(あおく)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「湯灣」(昭和28.12)を使用したものである
所在:奄美市住用町市(すみようちょう
いち)
地形図:山間/湯湾
形態:海岸に家屋が集まる
離村の背景:(1世帯現住)
標高:数m
訪問:2009年12月
旧住用村の南東部にある。
現地には1軒の民家(写真1)と小さな畑があり、数頭の牛が放牧されている。海岸と宅地は立派な石垣で隔てられているが(写真3)、所々崩れた箇所もある。海岸からの集落の入口には石垣の上に石碑があり、「浜崎■■氏 村長代(?)記念」とある(写真4)。石垣のすぐ内側でも、屋敷跡と思われる場所がいくらか確認できる。集落の外れには「伝説 むちゃかな之碑」(※)という新しい碑が建つ(写真6)。
在住の方には訪問時にすれ違ってしまい残念ながら話を伺うことができなかったが、市在住の方に話を伺うことができた。これよるとかつては10軒以上が暮らし、畑があった。終戦後に離村する家が多かったのではないかとのこと。ほとんどが市に移住したが、瀬戸内町に移る家もあった。現住の家も離村の意志があったそうだが、車道が開通したために青久に留まった。自給用の農業が主体。集落にある石碑(先述)は、青久から住用村の村長が誕生した際に作られたもの。
※ 碑によると「むちゃかな(むちゃ加那)」は、江戸時代末期、喜界(きかい)島出身の女性。島の女たちに美しい容姿を妬まれ、海に突き落とされた。その亡骸が青久に流れ着き、住民は手厚く葬ったという
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