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◆網取(あみとり/アントゥリ)

※ この地図は、参謀本部陸地測量部発行の1/50,000地形図「西表島西南部」(大正12.5)を使用したものである
所在:竹富町崎山(さきやま)字網取 地形図:ウビラ石/西表島西部
アクセント:アミトリ
形態:海岸付近に家屋が集まる
標高:数m
訪問:2010年12月
島の西部、大字崎山の北部にある。
現在は学校跡に東海大学沖縄地域研究センターが建ち、集落全体が同大学の所有地。集落が廃絶した現在も、白浜(しらはま)から船浮(ふなうき)経由で定期船が週に1度往復している(ただし2010年夏、航路の廃止が決定。間もなく就航は廃止される)。
集落跡の東側は施設により整備されており、珊瑚などを重ねた低い垣根や、碁盤目状に鋪かれた道が往時の雰囲気を偲ばせる。西側はほとんど手が入らずに荒れており、屋敷跡もよく分からなくなっている。なお屋敷跡では様々な遺構や壜・瀬戸物などが確認できる。御嶽(※)は学校脇の杜の中にひっそりと残る。
海岸には「あんとぅり」と刻まれた「網取村跡の碑」(平成8年、うるち会による建立)が建っており、集落の様子や離村の状況を綴っている。以下はその全文。
網取村は西表島の最南端に三百余年の歩みを残した。耕地や交通の不便と人頭税の重圧に耐えて村人は父祖の築いた繁栄を守ってきた。しかし、政治の貧困による経済の行きづまりと医療、教育の不備を始めとする孤島苦がつのり、ついに昭和四十六年七月十四日に全員離村を余儀なくされた。ここに私たちは全体の祖先の霊を祀り、四散した村人のよりどころとするためこの碑を建てる。
※ 御嶽(うたき)は、琉球の信仰に基づいて作られた宗教施設
以下は書籍『わが故郷アントゥリ』より人家のあった区画の変遷。番号は当方が便宜上付けたもの。
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大正年間 |
昭和15年〜 |
備考 |
現状 |
| 1 |
嘉弥真(かやま) |
※空家 |
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未確認(雑木林か) |
| 2 |
村仲 |
村仲 |
|
雑木林 |
| 3 |
慶田城 |
山田 |
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〃 |
| 4 |
※空家 |
屋良部(やらぶ) |
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〃 |
| 5 |
山田 |
宮良 |
山田は12の分家 |
〃 |
| 6 |
嘉弥真 |
嘉弥真 |
7の分家 |
〃 |
| 7 |
嘉弥真 |
嘉弥真 |
6の本家 |
〃 |
| 8 |
南風野 |
南風野 |
|
アダンの林 |
| 9 |
小山 |
小山 |
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雑木林 |
| 10 |
※カラムシ畑 |
崎山 |
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〃 |
| 11 |
伊泊 |
新盛 |
|
〃 |
| 12 |
山田 |
山田 |
5(山田)の本家 |
〃 |
| 13 |
入伊泊(いりいどまり) |
入伊泊 |
入伊泊氏は集落出身の教員(のち校長) |
〃 |
| 14 |
※役人事務所 |
伊泊 |
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〃 |
| 15 |
大嵩 |
赤嶺 |
|
〃 |
| 16 |
長浜 |
※空地 |
最も古い家といわれる |
明るい林 |
| 17 |
前田原 |
前田原 |
|
〃 |
| 18 |
小浜 |
※空地 |
|
未確認(雑木林か) |
| 19 |
※字有地 |
新盛 |
|
雑木林 |
| 20 |
網取 |
東若(ありわか) |
東若は26の分家 |
明るい林 |
| 21 |
嵩原(たけはら) |
嵩原 |
|
雑木林 |
| 22 |
新城 |
新城 |
24(新城)の本家 |
〃 |
| 23 |
小浜 |
嘉弥真 |
|
整備された空地 |
| 24 |
伊泊 |
新城 |
伊泊は25の分家 新城は22の分家 |
〃 |
| 25 |
伊泊 |
伊泊 |
24(伊泊)の本家 |
26にかけて建物 |
| 26 |
東若 |
東若 |
20(東若)の本家 |
25にかけて建物 |
| 27 |
※保安林 |
大久 |
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未確認(雑木林か) |
| 28 |
〃 |
大坪 |
|
〃 |
| 29 |
〃 |
西盛 |
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雑木林 |
| 30 |
〃 |
南谷 |
|
建物 |
| 31 |
〃 |
新盛 |
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アダン・雑木の林 |
| 32 |
〃 |
南風野 |
|
雑木林 |
| 33 |
〃 |
大山 |
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建物 |
以下は年表より(抜萃・改変)。
| 正保4(1647) |
『宮古八重山両島絵図町』に登場 |
| 宝暦5(1753) |
崎山創設に伴い、63人が移住(鹿川からは93人)。 |
| 元文2(1737) |
(人口49人) |
| 明和8(1771) |
明和の大津波 |
| 明治26 |
(戸数11戸、人口60人) |
| 明治32 |
崎山より間切役所が移転(※) |
| 明治44 |
鹿川廃村。一部が移住 |
| 昭和36 |
簡易水道敷設 |
| 昭和38 |
電灯の導入 |
| 昭和40 |
無線電話架設 |
| 昭和46 |
7月、廃村 |
| 昭和48 |
出身者の親睦会「うるち会」結成 |
※ 間切(まぎり)は当時の行政区分
以下は年表より学校に関するもの(一部改変)。
| 明治31 |
大川尋常小学校崎山分校として創立 |
| 明治33 |
大川尋常小学校崎山分教場と改称 |
| 明治39 |
大川尋常小学校より分離し西表尋常小学校崎山分教場となる |
| 大正3 |
分教場廃止 |
| 大正6 |
数度の陳情により、西表尋常小学校崎山仮教場として設立認可(5月28日付) |
| 昭和24 |
4月、西表小中学校網取分校となる |
| 昭和32 |
独立。網取小中学校となる |
| 昭和46 |
3月31日廃校 |
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昭和51 |
学校跡に東海大学海洋研究所西表分室(のち同校沖縄地域研究センター)が開所 |
なお廃校直前の児童数は、資料『町制三十年のあゆみ』より昭和41年8人、同42年8人、同44年5人、同45年6人。
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