◆狂小屋(きちがいごや)
所在:揖斐川町櫨原(はぜはら)
揖斐川の支流、扇(おうぎ)谷(写真)沿いにある。集落ではなく、季節的な農業の小屋掛けがなされていた地域。 「角川」の櫨原の説明の中に「耕地は扇谷沿いの緩斜面にもあり、遠距離の扇谷には出作小屋も多い」という一節があり、当地も出作小屋があった場所であったよう。 村史の「徳山村出作り小屋・山小屋分布図」(昭和47年調査)を見ると、出作り小屋は多くの支流で散見されるが、特に扇谷に多くあることが分かる。なお出作り小屋では4月末に入山し、収穫も終わる11月初〜中旬に下山することが多かった。出作り制度も戦時中および戦後の食糧増産のため奨励されたが、近代文化の発達とともに減少した。 資料『地形図に歴史を読む』では、当地や作六ツシでは多くの出作り小屋が分布していたと考察されている。またこのような出作り集落は戦後の焼畑の衰退とともに放棄されてしまい、ついに定住集落とはなり得なかったとある。 書籍『樹林の山旅』(昭和15年刊行)では、著者が櫨原から当地と作六ツシを経由し、福井県の温見まで抜けた時の記録が綴られている。この時は道路工事の終点であり、カラカン谷沿いに大きな藁葺きの家屋が1軒建っていたと記されている。 2025年訪問。前回は開鑿途中であった右岸の作業道より、町道(扇谷奥山線。旧村道狂小屋線)に合流し現地に到達。なお町道沿いにも出作小屋と思われる建物やその跡地が多く散見され、付近には水田の跡も広く見られる。
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![]() (写真1 町道扇谷奥山線起点。これより手前は湖面に続く) |
![]() (写真2 出作小屋跡) (以下町道沿い) |
![]() (写真3 水田跡) |
![]() (写真4 出作小屋跡?) |
![]() (写真5 出作小屋跡?) |
![]() (写真6 出作小屋跡) |
![]() 写真7 対岸の水田跡 (以下地名表記付近) |
![]() 写真8 写真7にて。農機具小屋跡? |
![]() 写真9 溜め池跡 |
![]() 写真10 出作小屋跡? |
![]() 写真11 同(写真10に隣接) |
![]() 写真12 水路 |
![]() 写真13 農地跡 |
![]() 写真14 出作小屋跡? |
![]() 写真15 農機具小屋跡? |
![]() 写真16 農地跡 |
![]() 写真17 谷と小屋。右へ進むと作六ツシ(橋梁は扇谷第1号橋) |