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◆作六ツシ(さくむつし)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「冠山」(昭和33.5)を使用したものである

所在:揖斐川町櫨原(はぜはら)
地形図:冠山/冠山
形態:谷沿い
離村の背景:非居住地
標高:約550m
訪問:2025年5月

 

 揖斐川の支流、扇(おうぎ)谷(写真)の上流にある。古い地図では23軒の建物が見られる。
 
かつては扇谷に沿って林道が通じていたようだが、現在は徳山ダム湛水に伴い林道も水没。
 
山小屋の方(三軒屋参照)の話では、人家のある場所ではなかったという。

 「角川」の大字櫨原の説明の中に「耕地は扇谷沿いの緩斜面にもあり、遠距離の扇谷には出作小屋も多い。」という一節があり、ここも出作小屋があった場所だったのだろう。

 『徳山村史に、「むつしとは、いったん焼畑を作って一五、六年から五〇年前後放置した土地の名称で(略)徳山村では多くあらしというが、櫨原ではむつしともいったようである」とあり、地名に関連するものと思われる。また伝承では「作六ツシは、昔から神のさわりがあって、村人のだれも仕事のできない所であった」とある。

 資料『地形図に歴史を読む』では、当地や狂小屋では多くの出作り小屋が分布していたと考察されている。またこのような出作り集落は戦後の焼畑の衰退とともに放棄されてしまい、ついに定住集落とはなり得なかったとある。
 なおこの地域一帯で行われた焼畑では、稗や粟・麦などの穀物を中心に、小豆・蕎麦・エゴマ・大根が作付されていたよう。

 書籍『樹林の山旅』(昭和15年刊行)では、著者が櫨原から狂小屋・作六ツシを経由し、福井県の温見まで抜けた時の記録が綴られている。この時は狂小屋まで道路工事が進んでいたが、そこから当地までの道は廃道となり、所々踏み跡はあるが水の中を進むことが多いとある。なお現地には、既に利用されていない出作小屋が1軒、谷にはワサビ田の跡があり、石畳の間には蕎麦に似た草が一面に茂っていたことが記されている。

 2009年に訪問を試みたが、扇谷沿いの町道(扇谷奥山線。旧村道狂小屋線)の起点も水没しており到達は叶わず。
 
2025年、この町道に連絡する作業道が櫨原より通じていたことにより、現地に到達することができた。狂小屋町道の終点?)から先も治山のためか車道が通じているものの、久しく車輛が通行していないことが窺える。
 旧版地形図の建物は谷の合流部の内側だが、橋はなく渡渉が必要。現地では石垣により段々になった土地が見られたが、出作小屋があったのはこの辺りか。

 


写真1 谷の合流部。中央やや右の杉の植林地が現地

写真2 遠景


写真3 廃車


写真4 平坦地

写真5 廃車

写真6 石垣

写真7 写真6の平坦地(出作小屋跡?)

写真8 茶碗

写真9 何かの遺構?

 

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