◆作六ツシ(さくむつし)
所在:揖斐川町櫨原(はぜはら)
揖斐川の支流、扇(おうぎ)谷(写真)の上流にある。古い地図では2、3軒の建物が見られる。 「角川」の大字櫨原の説明の中に「耕地は扇谷沿いの緩斜面にもあり、遠距離の扇谷には出作小屋も多い。」という一節があり、ここも出作小屋があった場所だったのだろう。 『徳山村史』に、「むつしとは、いったん焼畑を作って一五、六年から五〇年前後放置した土地の名称で(略)徳山村では多くあらしというが、塚・櫨原ではむつしともいったようである」とあり、地名に関連するものと思われる。また伝承では「作六ツシは、昔から神のさわりがあって、村人のだれも仕事のできない所であった」とある。 資料『地形図に歴史を読む』では、当地や狂小屋では多くの出作り小屋が分布していたと考察されている。またこのような出作り集落は戦後の焼畑の衰退とともに放棄されてしまい、ついに定住集落とはなり得なかったとある。 書籍『樹林の山旅』(昭和15年刊行)では、著者が櫨原から狂小屋・作六ツシを経由し、福井県の温見まで抜けた時の記録が綴られている。この時は狂小屋まで道路工事が進んでいたが、そこから当地までの道は廃道となり、所々踏み跡はあるが水の中を進むことが多いとある。なお現地には、既に利用されていない出作小屋が1軒、谷にはワサビ田の跡があり、石畳の間には蕎麦に似た草が一面に茂っていたことが記されている。 2009年に訪問を試みたが、扇谷沿いの町道(扇谷奥山線。旧村道狂小屋線)の起点も水没しており到達は叶わず。
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![]() 写真1 谷の合流部。中央やや右の杉の植林地が現地 |
![]() 写真2 遠景 |
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![]() 写真4 平坦地 |
![]() 写真5 廃車 |
![]() 写真6 石垣 |
![]() 写真7 写真6の平坦地(出作小屋跡?) |
![]() 写真8 茶碗 |
![]() 写真9 何かの遺構? |