◆大鳥居(おおどりい)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「水口」(昭和27.2)を使用したものである
所在:大津市上田上大鳥居町(かみたなかみおおどりいちょう)
地形図:三雲/水口
異読み:おおとりい(停留所)
形態:左岸―山裾に家屋が集まる 右岸―川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:左岸―約250m 右岸―約240m
訪問:2025年5月
大鳥居町の北東部、大戸(だいど)川付近にある。大戸川ダムの建設に伴い離村し、近い将来湖面付近となる予定。
人家の多くは左岸側の山裾に集まっていたが、右岸にも少数の家屋が存在していた。
資料『田上の民俗』によると、当時(昭和47年刊行)は54世帯243人(※1)。
氏神は稲荷神社で、祭神は誉田別尊・蔵稲魂・伊弉冉尊。寺院は浄土(じょうど)寺(浄土宗)で、全戸が檀家であった。
地名の由来については、『近江輿地志略』に「往古此處に飛騨の内匠といへる大工居住せり。此内匠或時西土へ越えむと欲し、自ら大なる鳥の形を製造して、之に乗りて諸越へ行きし故、鳥を作りし處なればとて、大鳥居村とは呼ぶ也といふ」とあり、註に「大鳥居の名に就て本文に種々説あれど、金勝寺(※2)の大鳥居ありしより起りし事同寺四至封占圖に據りて明らかなり」とある。
また市史によると、山の神が2箇所にあり、それぞれ「クチの山の神」「オクの山の神」と呼ばれていたという。
大戸川ダム建設計画は、昭和43年度から予備調査が開始、同53年度実施調査に移され、現在も継続中。
当地にあった上田上小学校大鳥居分校の沿革は以下のとおり。
明治8.6.24 |
誘説学校開設 |
明治19.11.1 |
簡易科唐辻小学校となる |
明治21.3.12 |
簡易科大鳥居小学校と改称 |
明治25 |
大鳥居尋常小学校となる |
明治31.4 |
上田上尋常小学校(後の上田上小学校)の分校となる |
昭和41 |
閉校(HEYANEKO氏調べ) |
また「角川」によると、大鳥居は近世の栗太郡大鳥居村。明治22年上田上村、昭和30年瀬田町の大字となり、同42年大津市の上田上大鳥居町となる。明治期は、農業の傍ら茶・薪・炭を生産していた。
明治13年58戸259人、昭和53年51世帯228人。
※1 桐生町の桐生辻も含めた数と思われる
※2 金勝(こんしょう)寺は、栗東市にある寺院
集落跡(左岸)は既に立ち入りがでないため、遠方から望んだのみ。造成により地形は大きく変わっていることが分かり、集落の痕跡は確認できない。また桐生辻に通じる右岸の道路も封鎖されており、こちらの屋敷跡も未確認となった。無住となった後も県道のバス停は存続しており、また大鳥居発電所も稼働中。
なお町の読みは「おおどりい」だが、バス停の標識では「おおとりい」となっている。
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