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◆大門寺(だいもんじ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「京都西南部」(昭和26.6)を使用したものである

所在:茨木市大門寺
地形図:高槻/京都西南部
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:110m前後(寺院は約150m)
訪問:2024年5月

 

 大字大門寺の南東部、安威(あい)川右岸側の支流沿いにある。安威川ダムの建設に伴いほとんどの世帯が移転したが、堰堤より下流にあり水没はしていない。
 かつては現在の大門寺駐車場から大門寺トンネルの南側坑口付近にかけて家々が並び、寺院(神峯山大門寺)が少し山側(ほぼ現在と同じ場所)に立地している。なお寺院の建物群の配置は現在とは大きく異なっており、本殿は120mほど北西の高台に再建(写真10)、かつての庫裡は客殿(友月庵)前の池となっている。付近で唯一の現住家屋(庫裡?)も、ダム建設時の境内改修に伴って設けられたもの。
 参道には古い瓦や石臼などが敷き詰められているが(写真4)、これらは移転家屋のものではなくダム建設前からのものであるよう。
 移転先は旧集落から350mほど南の造成地(桑原(くわのはら)代替地の後方)で、寺院境内にあった十二社権現はこの代替地に移転している(写真12)。

 市史によると、大門寺はの真言宗の寺院で、本尊は聖如意輪観世音菩薩。宝亀2(771)年開成皇子による開基とのこと。
 「角川」によると、大字大門寺は近世の大門寺村(島下郡のうち)。明治22年石河村の大字となる(昭和30年より茨木市)。明治22年人口44人。昭和55年度の国勢調査では、14戸58人。
 また「いばきたデザインプロジェクト」の調査によると、平成29年7戸24人(※)(市ウェブサイト「町丁字別人口」〔住民基本台帳〕)

 ダム建設の大まかな沿革は、生保のページを参照。

※ 退去後も複数の居住者が存在するのは、移転先も大門寺地内となっているため

 


(写真1 ダム堰堤)

写真2 集落跡(大門寺駐車場)

写真3 大門寺参道

写真4 参道の瓦や石臼

写真5 瓦や石臼を用いた階段。こちらはダム建設以後に設けられたものであるよう

写真6 何かの遺構?

写真7 山門

写真8 客殿(友月庵)。かつては池の位置に庫裡が存在

写真9 寺務所

写真10 本殿

写真11 本殿前からの風景

(写真12 移転先の十二神社)

 

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