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◆生保(しょうぼ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「京都西南部」(昭和26.6)を使用したものである

所在:茨木市生保
地形図:高槻/京都西南部
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約90m(水面は約120m)
訪問:2024年5月

 

 大字生保の中部、安威(あい)川右岸にある。現在は安威川ダムの湛水に伴い水没。
 以下は現地の説明板より、ダム建設の大まかな沿革(抜萃)。

 昭和42  北摂豪雨災害。これを契機にダム構想が立案される
 昭和51  調査開始
 昭和63  ダム建設等の工事に着手
 平成7.3〜  水没各地と基本協定の締結
 平成11.3  水没地等の用地取得に着手
 補償基準協定の調印
 平成19.6  水没家屋等の代替地への移転終了
 平成26.3  ダム本体工事に着手
 令和4.9  試験湛水開始

 令和5.6

 試験湛水完了
 令和5.9  管理運用開始


 集落は堰堤に近いこともあり完全に水没、痕跡は確認できず。
 移転先は水没地から500mほど西の高台で、集落にあった諏訪神社および正覚寺(山号・安養山)もこの代替地に移転している。

 市史によると、諏訪神社は建御名方命ほか3柱を祭神とし、氏子数20。正覚寺は浄土真宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。檀徒数6。永正4(1507)年開基とのこと。
 「角川」によると、大字生保は近世の生保村(島下郡のうち)。明治22年石河村の大字となる(昭和30年より茨木市)。明治9年人口89人、同22年99人。昭和55年度の国勢調査では、24戸114人。
 また「いばきたデザインプロジェクト」の調査によると、平成19年全戸移転完了。平成29年33戸81人(※)(市ウェブサイト「町丁字別人口」〔住民基本台帳〕)。

※ 退去後も住民が存在するのは、移転先も生保地内となっているため

 


写真1 堰堤と集落跡(左の水没地)を望む

(写真2 移転先の諏訪神社)

(写真3 移転先の正覚寺)

 

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