戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆大島(おおしま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/25,000地形図「湯江」(昭和31.11)を使用したものである

所在:雲仙市吾妻町阿母名(あづまちょうあぼみょう)
地形図:湯江/諫早
形態:海沿いに家屋が集まる
標高:数m
訪問:2025年5月

 

 大字阿母名の北西部にある。かつては阿母名の海岸(阿母崎付近)より北西におよそ1.6q、森山町田尻の海岸(釜ノ鼻駅付近)の海岸より1.9kmほど離れた島であったが、現在は陸続きとなっている。

 資料『シマダス』によると、昭和27年7世帯97人(うち鉱業事業者85人)(県統計年鑑)。 かつては中ノ島・沖ノ島と3島合わせて三ツ島と呼ばれていた。明治27年より、当時の山田村初代村長が三ツ島干拓の事業に着手し、昭和5年にその完成を見ている。戦後、国営干拓事業の進展に伴い大島は昭和39年に陸続きとなった。なお江戸期には、諫早湾干拓用の石材を島々で産することからその領有が争われたとのこと。
 町史によると、島は石材の供給のために起伏が著しく減少。原野となり、人家が数戸点在し牛と豚が飼われているとある(刊行は昭和58年)。
 大正6年9月、石材に感謝の意を表し
島の南中央に福石明神、北に立石明神を祀った。建立者は当時居住していた金田・熊崎・田中・辻の各氏。福石明神・立石明神は古くから祀られていたといわれ、大正6年に各氏が復元。ほか不動明王・大嶋大明神・弁財天についても言及がある。

 最近の地形図では複数の建物が記されているものの、倉庫や作業所・畜舎などで現住の人家はない。
 島内には共同墓地(大島墓地公園)があり20世帯ほどの墓石があるが、島内の関係者が含まれているかは不明。また墓地のそばには不動明王と立石明神・福石明神、またさらに頂上にも小祠が祀られている。
 また島内には「洪水防除事業完成記念碑」「諫早干拓竣工記念碑」「諫早共栄干拓入植記念碑」といった複数の記念碑が見られる。このうち最近の地形図に記されているものは入植記念碑のみ。

 読みは「角川」の小字一覧のルビに拠った。

 


写真1 島内の風景

写真2 同

写真3 墓地(大島墓地公園)

写真4 小祠と石塔。左の小祠には不動明王、石塔には「立石明神/福石明神」とある

写真5 頂上の小祠。左手前は恵比須像だが、祠の中の像は本文中の弁財天か

写真6 洪水防除事業完成記念碑(昭和55年)

写真7 諫早干拓竣工記念碑(昭和39年)

写真8 諫早共栄干拓入植記念碑

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ