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◆大島(おおしま)
所在:雲仙市吾妻町阿母名(あづまちょうあぼみょう)
大字阿母名の北西部にある。かつては阿母名の海岸(阿母崎付近)より北西におよそ1.6q、森山町田尻の海岸(釜ノ鼻駅付近)の海岸より1.9kmほど離れた島であったが、現在は陸続きとなっている。 資料『シマダス』によると、昭和27年7世帯97人(うち鉱業事業者85人)(県統計年鑑)。 かつては中ノ島・沖ノ島と3島合わせて三ツ島と呼ばれていた。明治27年より、当時の山田村初代村長が三ツ島干拓の事業に着手し、昭和5年にその完成を見ている。戦後、国営干拓事業の進展に伴い大島は昭和39年に陸続きとなった。なお江戸期には、諫早湾干拓用の石材を島々で産することからその領有が争われたとのこと。 最近の地形図では複数の建物が記されているものの、倉庫や作業所・畜舎などで現住の人家はない。 読みは「角川」の小字一覧のルビに拠った。
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![]() 写真1 島内の風景 |
![]() 写真2 同 |
![]() 写真3 墓地(大島墓地公園) |
![]() 写真4 小祠と石塔。左の小祠には不動明王、石塔には「立石明神/福石明神」とある |
![]() 写真5 頂上の小祠。左手前は恵比須像だが、祠の中の像は本文中の弁財天か |
![]() 写真6 洪水防除事業完成記念碑(昭和55年) |
![]() 写真7 諫早干拓竣工記念碑(昭和39年) |
![]() 写真8 諫早共栄干拓入植記念碑 |