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◆加瀬ヶ浦(かせがうら?)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「佐須奈」(昭和21.11)を使用したものである

所在:対馬市上対馬町大増(かみつしままちおおます)
地形図:佐須奈/佐須奈
形態:海沿いに家屋が集まる
標高:数m〜
訪問:2024年11月

 

 大字大増の南東部。舟志(しゅうし)湾内に突き出た半島の海沿いにある。
 かつて送信局の「対馬オメガ局」があり、その跡地は「オメガ公園」として整備されている。

 町誌によると、明治30年代に初めて居住が始まったが、この地にオメガ塔が建設されることになったため昭和46年3月に地区が廃止されたとのこと。昭和40年18世帯87人、同44年3世帯16人。移転先は、分かるもので大増6・浜久須(はまぐす)2・古里(ふるさと)・泉(いずみ)・小倉・岡山各1(※1)離村に当たって国(海上保安庁)より補償があり、県と町からは見舞金が支払われた。
 掲載されているかつての住民の話では、移住者は広島・島根・愛媛・和歌山・福岡など方々からであったという。当時はイカ釣りが盛んであった。最盛期40戸ほど。

※1 「小倉」は北九州の小倉地区、「岡山」は岡山県のことか

 旧版地形図では2箇所に建物のまとまりが見られるのみで、約40戸の人家がどのように分布していたのかは不明。探索は主にこの2箇所の入り江付近(いずれも公園内)のみであったが、造成のため往時の痕跡はほとんど見られない。こと南側の入り江は、オメガ局局舎の平坦部の拡幅のためか非常に狭くなっている。
 なお園内の説明板によると、オメガ塔は船舶や航空機が電波により自身の位置を測定しながら航行するためのもので、世界に8箇所あったという(アジアでは対馬のみ)。昭和45年着工、同50年完成。しかし技術の発達によりGPS等が主流となったため、平成9年閉局。鉄塔は保存の声もあったが、維持管理の問題で解体が決定。平成10年解体工事開始、同12年3月末完了。高さおよそ455mは、当時日本一高い建造物であった(※2)

※2 この記録は東京スカイツリー(634m)の建設まで続いた

 


写真1 住宅群があった位置(公園の案内図より)

写真2 住宅群跡(写真1の場所)。入り江に沿って建物が並んでいた

写真3 船揚場

写真4 古い電柱。ポンプ施設?(現在も稼働)のそばにある

写真5 住宅群南の平坦部(後の局舎跡)

写真6 展示された塔の一部

写真7 往時の塔(中央)と局舎(右下)(説明板より)

写真8 南の浜

 

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