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◆与力(よりき?)



※ 範囲は推定
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「小茂田」(昭和22.1)を使用したものである

所在:対馬市美津島町今里(みつしままちいまざと)・同美津島町尾崎(―おさき)
地形図:阿連/仁位
形態:河口付近
標高:数m
訪問:2024年11月

 

 大字今里の北部および尾崎の北西部にある。
 ここでは地名表記のある谷沿いのほか、西の神社の
記号付近、東の独立樹の記号や建物が見られる一帯も訪問対象とした。
 なお
諸地図サイトでは、地名表記のある谷の左岸が今里、右岸が尾崎となっているものが多い。

 訪問は尾崎より飛岳を経由し神社に通じる道路より。飛岳北東の鞍部で道を外れ、まず地名表記付近に下降。ここでは左岸側に屋敷跡を1箇所確認した。
 続いて道路を伝い神社のある谷に到達。神社(都々智神社)の跡(写真5)のほか、人家とは異なる複数の建造物の跡地が見られた。
現在の神社(写真10)の説明版によると、都々智神社は祭神は天佐手依比女神(あまのさてよりひめのかみ)・表筒男神(あきつつをのかみ)・中筒男神(なかつつおのかみ)・底筒男神(そこつつをのかみ)。今里の字郷崎に鎮座し尾崎の氏神であったが、令和2年に遥拝殿が新築されたのに伴い、地区内の八幡神社・天神神社とともに遷座されたとのこと。別名郷崎大明神。
 後日、先の鞍部より尾根を伝い地図画像の右端の谷沿いを訪問。ただし顕著な痕跡は見られず建物の位置は不明。潮が引いていたため磯伝いに西隣の浜に移動したところ、ここでは何かの建物の跡が残っていた。さらに谷の奥でも、軍事関連と思われる施設の跡が見られた。
 余談だが、この谷の左岸の斜面と稜線上、先述の鞍部、鞍部から西に延びる道の先でも広く軍事施設の跡が見られる(写真17・18等)。

 「角川」の小字一覧には、尾崎に「寄木(ヨリキ)」が見られるが、当地を指すものと思われる。

 


写真1 屋敷跡(以下地名表記付近)

写真2 写真1にて

写真3 神社参道入口(以下神社の記号付近)

写真4 参道(社殿側から見る。付近の井戸が溢流し、一帯が浸水している)

写真5 社殿跡


写真6 鳥居の一部


写真7 海に面した鳥居。「明治三十年六月吉日」「石工 國松清右衞門」などとある

写真8 施設跡

写真9 浜からの風景

(写真10 現在の都々智神社)

写真11 浜の風景(以下右端の浜)

写真12 谷沿いの炭焼き窯跡

写真13 何かの跡(以下独立樹の記号付近)

写真14 施設跡

写真15 写真14付近にて。井戸

写真16 同。門柱?(右手前と左奥に1本ずつ)

(写真17 付近の軍事施設跡)

(写真18 同)

 

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