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◆野牛島(やぎじま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「長崎」(昭和22.7)を使用したものである

所在:長崎市深堀町(ふかほりまち)一丁目
地形図:長崎西南部/長崎
形態:海沿いに家屋が集まる?
標高:数m?
訪問:(2025年8月)

 

 深堀町の造船所岸壁から、北に200m強にある島。

 資料『シマダス』によると、昭和27年の報告では12世帯68人(漁業3人・その他13人)(県統計年鑑)。大正9年に長崎市営のごみ焼却場が設けられ、昭和25年に茂里町に塵芥焼却場が完成するまで使用されたとのこと。昭和3年には焼却後の残滓と不燃物を処理するため、島の南東沖にあった舞島の地先海面が埋め立てられた。平成28年、福岡造船の野牛島工場が竣工。

 また資料『明治維新後の長崎』には、焼却場建設について「…同八年西彼杵郡深堀村字野牛島の地三千六百坪を買收直に新築工事に着手し大正九年八月竣工す燒却爐四個起重機一臺岸壁三十三間燒却爐上屋及倉庫一棟人夫住宅機關手住宅各一棟其の他附屬建物三棟…」という記述が見られる。
 焼却場については、明治37年土井首(どいのくび)村鎧崎に初めて設けられ、大正4年7月に浦上山里(うらかみやまさと)村寺野郷に新築移転。しかし衛生的に立地が不適当であり、大正7年に野牛島に市営焼却場が建設されることが決定した。

 有人となった経緯は未確認だが、この焼却場の労働者が島の最初の住民だろうか。
 上陸はせず、対岸から遠景を望んだのみ。操業中の造船工場が
見られる。

 


写真 島遠景(毛井首(けいくび)方面より撮影)

 

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