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◆高鉾島(たかほこじま)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「長崎」(昭和22.7)を使用したものである
所在:長崎市神ノ島町(かみのしままち)二丁目
地形図:長崎西南部/長崎
形態:?
標高:?
訪問:(2025年8月)
神ノ島町の南部の海岸より、南東300m強にある島。
資料『シマダス』によると、昭和27年1世帯3人、同35年の国勢調査では人口1人を数えている。
元和3(1617)年10月、鷹島(時津町)で先に殉教したナワレト神父・エルナンド神父の宿主であった2人のキリシタンがこの島で殉教。以来、公益のために渡航するオランダ人はこの島を“pappenberg”(バテレンの山)という名で呼んだという。
承応2(1653)年、幕府の命により平戸藩主・松浦鎮信(重信)が高鉾島を含め長崎港7箇所に石火矢台(台場)を築いた。文化5(1808)年、イギリス船によるフェートン号事件が起きると、台場の増強が図られ、また兵器も常備されるようになり、常住小屋2軒・番所1軒などが設けられた。慶応2(1866)年、他の台場とともに廃止。
上陸はせず、対岸から遠景を望んだのみ。人家があった場所も不明。
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