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◆上木場(かみこば)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「島原」(昭和22.9)を使用したものである

所在:島原市北上木場町(きたかみこばまち)・南上木場町(みなみ―)
地形図:島原/島原 雲仙/島原
形態:川沿いから山の斜面にかけて家屋が散在する
標高:約140〜280m
訪問:2025年7月

 

 市の南部、雲仙(うんぜん)岳の南東山麓にある。水無川左岸から支流のおしが谷の左岸斜面にかけて家屋が散在していた。水無川・おしが谷の間にあった南上木場町と、おしが谷左岸斜面にあった北上木場町の2町からなる(なおおしが谷は、災害により流れが変わっており現在の谷筋とは一致しない)。
 平成3年6月3日、雲仙岳の主峰・普賢(ふげん)岳の火山活動に伴い大規模な火砕流が発生し、集落に潰滅的な被害が生じた。なお雲仙岳は、平成2年11月17日に198年ぶりに噴火活動を開始し、同7年2月に鎮静化するまでその影響が続いていた。

 資料『雲仙・普賢岳噴火災害の記録』によると、平成3年5月15日、水無川上流で土石流が発生し、上木場・上大野木場(深江町【現・南島原市】)等の住民に避難勧告が出され、今回の噴火による初めての避難となった。その後も連続して土石流が発生し、住民の避難はその度に繰り返された(※1)
 5月26日、火砕流が多発したため北・南上木場町252世帯1,094人に避難勧告が出された。のち2年以上続く長期避難の始まりとなり、自宅に戻れないまま6月3日の火砕流によりそのほとんどが被災した。
 6月3日に発生した土石流は、水無川沿いの集落を呑み込み上木場地区の眼鏡橋付近まで到達。山林や上木場では火災が発生し、一帯は焼け野原となった。
 島原市・深江町は急遽水無川流域の住民に避難を勧告し、さらに時間の経過とともに火砕流の被害状況が判明していくと勧告地域を拡大していった。
 6月3日の火砕流発生時点では上木場地域に避難勧告が出されていたものの、死者40名・行方不者3名・負傷者9名の人的被害が発生。死者・行方不者の内訳は、報道関係者16・消防団員12・一般住民6・タクシー運転手4・火山研究者3・警察官2。負傷者は一般住民7・報道関係者2。
 報道関係者は、火砕流を撮影するため上木場にあった「定点」と呼ばれる小高い丘に待機しており、危険を知らせようとした警察官が被災に巻き込まれた。
また消防団は、避難で留守となっていた上木場を警邏している最中であった。

※1 上木場地区では、5月15日2時30分(北上木場町43世帯175人)、同3時頃(南上木場町36世帯159人)(8時50分〜9時10分解除)。5月19日13時43分。5月20日昼頃(自主避難)。5月21日2時59分(5時55分解除)。5月24日19時23分(翌日3時10分解除)。5月26日13時5分。17時52分避難所を上木場農業研修所から第五小学校に変更。6月3日の時点で北・南上木場町96世帯404人

 市のウェブサイトによると、現在の当地区には雲仙岳災害記念碑・北上木場農業研修所跡があり、「定点」には白い三角錐のモニュメントがあるとのこと。農業研修所は当時消防団の詰所となっており、被災した消防車やパトカー・半鐘(慰霊の鐘)が保存されている。
 また移転先である仁田(にた)団地(※2)には、雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼の碑があるとのこと。

※2 被災住民の移転先として造成された新興住宅地(市内仁田町および大下町(おおじもまち)に亘る)。他に船泊(ふなどまり)団地(市内船泊町)がある

 「角川」によると、北上木場町・南上木場町ともに昭和49年からの町名で、元は中木場中村名・中木場川原平名の一部。
 北上木場町では、葉タバコの栽培を主とするほか水田で稲作も行われている。島原藩の御用窯といわれた眉山焼の窯元・眉石園がある。眉山からの湧水は水田に用いられるほか、かつては中木場地区の飲用水としても利用されていた。神社は毘沙門神社・高岩神社・岩下神社がある。昭和55年52世帯224人。
 南上木場町では、葉タバコの栽培を主とするほか稲作も行われ、養豚も盛ん。集落から離れた山中に水神を祀った南川神社がある。昭和55年44世帯195人。


 かつての宅地や農地は被災およびその後の砂防工事のため痕跡は確認できないが、県道脇の一部にかつての農地の石垣が残っている(写真3)。
 また先述の災害記念碑・研修所跡等は県道から分岐する脇道沿いにあるが、進入が規制されているためこれらは未確認。なおこの区域に往時の道筋が残っている箇所があり、かつての宅地の痕跡が残されている可能性もある。
 なお別の脇道沿いには2戸ほどの管理家屋があり、この時は滞在が窺えた。

 


写真1 砂防堰堤より集落跡を望む。左は水無川、右上は平成新山。建物は用途不明だが、近年建てられた新しいもの

写真2 砂防事業完成の「感謝の碑」(左)と「雲仙・普賢岳直轄砂防事業のあゆみ」の説明板(右)

写真3 農地跡。道路(現在の県道)の向こうに石垣や往時の道?が見える

写真4 写真3にて。小屋は後年に建てられたもの

写真5 地名表示

写真6 南上木場方面遠景

 

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