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◆上木場(かみこば)
所在:島原市北上木場町(きたかみこばまち)・南上木場町(みなみ―)
市の南部、雲仙(うんぜん)岳の南東山麓にある。水無川左岸から支流のおしが谷の左岸斜面にかけて家屋が散在していた。水無川・おしが谷の間にあった南上木場町と、おしが谷左岸斜面にあった北上木場町の2町からなる(なおおしが谷は、災害により流れが変わっており現在の谷筋とは一致しない)。 資料『雲仙・普賢岳噴火災害の記録』によると、平成3年5月15日、水無川上流で土石流が発生し、上木場・上大野木場(深江町【現・南島原市】)等の住民に避難勧告が出され、今回の噴火による初めての避難となった。その後も連続して土石流が発生し、住民の避難はその度に繰り返された(※1)。 ※1 上木場地区では、5月15日2時30分(北上木場町43世帯175人)、同3時頃(南上木場町36世帯159人)(8時50分〜9時10分解除)。5月19日13時43分。5月20日昼頃(自主避難)。5月21日2時59分(5時55分解除)。5月24日19時23分(翌日3時10分解除)。5月26日13時5分。17時52分避難所を上木場農業研修所から第五小学校に変更。6月3日の時点で北・南上木場町96世帯404人 市のウェブサイトによると、現在の当地区には雲仙岳災害記念碑・北上木場農業研修所跡があり、「定点」には白い三角錐のモニュメントがあるとのこと。農業研修所は当時消防団の詰所となっており、被災した消防車やパトカー・半鐘(慰霊の鐘)が保存されている。 また移転先である仁田(にた)団地(※2)には、雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼の碑があるとのこと。 ※2 被災住民の移転先として造成された新興住宅地(市内仁田町および大下町(おおじもまち)に亘る)。他に船泊(ふなどまり)団地(市内船泊町)がある
「角川」によると、北上木場町・南上木場町ともに昭和49年からの町名で、元は中木場中村名・中木場川原平名の一部。
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![]() 写真1 砂防堰堤より集落跡を望む。左は水無川、右上は平成新山。建物は用途不明だが、近年建てられた新しいもの |
![]() 写真2 砂防事業完成の「感謝の碑」(左)と「雲仙・普賢岳直轄砂防事業のあゆみ」の説明板(右) |
![]() 写真3 農地跡。道路(現在の県道)の向こうに石垣や往時の道?が見える |
![]() 写真4 写真3にて。小屋は後年に建てられたもの |
![]() 写真5 地名表示 |
![]() 写真6 南上木場方面遠景 |