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◆千本木(せんぼんぎ・せんぶき)
所在:島原市北千本木町(きたせんぼんぎまち)・南千本木町(みなみ―)
市の南部、中尾川の上流部、雲仙(うんぜん)岳の北東山麓にある。旧県道58号線の周辺を中心とした北千本木町と、県道207号線の西側に広がる南千本木町の2町からなる。 砂防学会発行の学会誌「新砂防」(国土交通省九州地方整備局のウェブサイトより閲覧)によると、普賢岳で発した火砕流は中尾川を下り、千本木地区に達して死者1名、焼失家屋は209棟(うち住家106棟。23日の被災151棟、24日の被災戸数58棟)にのぼったとのこと。今回のように大規模な被害をもたらした火砕流の発生は、平成3年9月15日以来約1年9箇月ぶりであった。災害直後、南千本木町・北千本木町と上折橋町(かみおりはしまち)の一部は警戒区域に指定され、201世帯が避難。また上折橋町の残りの区域が避難勧告区域に指定され、39世帯が避難を余儀なくされた。 最近の地形図でも北千本木に茶畑の記号が多く見られるが、資料『島原の歴史』によると、当地では茶の栽培が盛んに行われていたとのことで、眉山と普賢岳の間の谷間で育つこの茶は独特の風味と味を持っているという。製茶品評会での入賞歴もある。島原城主・高力摂津守が、京都の宇治から取り寄せて試植したと伝わっている。 「角川」によると、茶の栽培を主とする農家が多く、銘茶の島原茶・雲仙茶として知られているとのこと。他に柿・ハゼ・苗木の栽培を行っている。
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![]() 写真1 展望所にて。正面奥は平成新山。その前の谷を火砕流が流れ下った |
![]() 写真2 集落跡を望む |
![]() 写真3 災害前の集落(展望所の説明板より) |
![]() 写真4 火砕流発生後の集落(同) |
![]() 写真5 北千本木町のゲート(旧県道) |
![]() 写真6 焼山神社 |