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◆大島(おおしま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「飫肥」(昭和29.1)を使用したものである

所在:日南市南郷町中村乙(なんごうちょうなかむらおつ)
地形図:油津/飫肥
形態:
標高:上大島―約m60〜120m(小浜港は数m) 中大島―約70?〜90m 下大島―約70m
訪問:2024年12月

 

 中村乙の目井津(めいつ)港より、南東に2q強にある島。集落は島内の数箇所に散在していた。
 現在も市営の旅客船による船便や通年営業の宿泊・野外活動施設「大島アドベンチャーキャビン・コテージ」があり、来島者も多いよう。港は北西部の小浜(こはま)港と中西部の竹之尻
(たけのしり)港があり、旅客船はいずれにも寄港する。

 町郷土史によると、飫肥藩が牧場を設け馬の飼育・生産を行っていたが、嘉永初年にこれを廃止。農民を移住させて陸稲等の栽培を始めたという。当時23戸。その後人口は増加し、一時は70戸300人に及んだ。
 南郷町では昭和33年より農村地区の不便を解消するため公衆電話の設置が始まり、大島では同年2月7日小学校に、37年12月11日職員住宅に設置された。
 昭和43年8月、海底ケーブルにより送電開始。
 昭和50年3月、町道(竹之尻港‐小浜港間)鋪装完了。
 昭和51年3月、島内上水道工事完成。
 昭和51年11月30日、島内全戸電話開通。
 島内には山神神社(祭神は大山祇命)があるが、由緒は不明。
 当地にあった大島小学校の主な沿革は以下のとおり。

 明治33.4.1  南郷尋常小学校大島分教場開設
 昭和25.11  現在地に移転
 昭和29.4.1  独立。大島小学校となる

 昭和55.3

 閉校。26日閉校式挙行

 児童数の推移は以下のとおり。閉校時の在校児童は3名であった。

年度 大正6 昭和30 昭和35 昭和40 昭和45 昭和50 昭和53 昭和54

児童数

30 62 69 69 42 14 10 5

 また南郷中学校大島分校の主な沿革は以下のとおり(☆は大島小学校の沿革、★は南郷中学校の沿革からの記述)。

 明治22.7.23  ★南郷中学校大島分校設置
 昭和23.4.5  ☆小学校校地に大島公民館建設、中学校校舎に充てる(のち小学校の一部教室を使用)(※1)
 昭和25.11  ☆現在地に移転
 昭和35.2.5  ☆中学校校舎新築(小学校校舎に接続)(※1)

 昭和37.3.31(※2)

 ☆閉校

※1 ただし南郷中学校の沿革では昭和22年2月21日に「大島分校校舎竣工」とあり、経緯が不明
※2 総集編より

 中学校の閉校後は生徒(当時37名)は本校に通学することになったため、同年スクールボート「あけぼの」が就航した。一般の利用は有料だが、生徒は無料。昭和53年度の中学生は8名。

 資料『シマダス』によると、昭和30年には3つの集落に400人近い人口を数えていたが、平成27年12月に無住となったとのこと(同年の国勢調査で1世帯1人)。


 最近の地形図では上大島・中大島・下大島の3つの地名が記されているが、小浜港付近、中大島と下大島の分岐付近、下大島と灯台の中間、灯台にも住居があった。
 訪問は目井津港より渡船を利用。竹之尻港より上陸し、灯台・下大島・中大島・上大島・小浜港の順で巡った。なお通常は定期船が1日4往復しているが、この時はエンジントラブルにより運休していたため急遽渡船業者に乗船を依頼。
 鞍埼(くらさき)灯台は、島の最南端・鞍崎鼻の付近にある。現地の説明板や点灯百年記念碑によると、国内初のコンクリート造りの灯台として明治17年に建設されたとのこと。初点灯は同年8月。昭和40年までは職員4人が家族とともに構内で生活していたが、電化に伴い無人化。また『シマダス』によると、平成20年度国の近代化産業遺産に認定。平成31年3月国の有形文化財に登録とのこと。
 灯台と地形図の下大島の中間では、2箇所の屋敷跡を確認。付近にある果樹園の記号の場所は、現在は農地としての管理はされていないようだが、一部に残る柑橘の果樹がかつて畑であったことを窺わせる。
 下大島では、宅地付近が雑木林や荒地となり探索にやや難儀するが、3、4箇所の屋敷跡が見られた。
 竹之尻港から道路を登り、下大島・中大島の分岐に当たる場所には家屋が2軒。一方は比較的最近まで居住があったことが窺える。
 中大島では、学校跡地にて先述の施設が営業中。この時は大晦日かつ旅客船も運休であったが、管理者や宿泊者・利用者の姿が複数見られた(※3)。資料に掲載の学校の配置図やかつての航空写真より、現在のキャビンの付近に職員校長棟、その脇から現在のコテージにかけて校舎が建っていたよう。ほか集落内には管理家屋や複数の屋敷跡が見られる。
 上大島では、道路沿いや枝道の先で複数の宅地を確認。島田家跡のアコウの古木は、緑地保全樹木に指定されている(写真37)。
 小浜港付近にも複数の住宅があり、民宿を営んでいた家もあったことが窺える。

※3 島内で会った利用者の話では、渡船を利用したという。施設の管理者が手配したものか。上大島へ向かう途中でも、複数の利用者を乗せた車輛とすれ違った

 


写真1 島遠景(西側より撮影)

写真2 竹之尻港

写真3 港の観光案内

写真4 港付近の建物

写真5 灯台

写真6 灯台前の平坦部。職員官舎跡であるよう

写真7 灯台手前の石柱。「燈臺局所轄地」とある

写真8 屋敷跡(以下下大島‐灯台間)

写真9 屋敷跡

写真10 柑橘畑跡。右に果樹が残る

写真11 屋敷跡(以下下大島)

写真12 屋敷跡

写真13 屋敷跡

写真14 屋敷跡

写真15 家屋の屋根と南郷方面(以下中大島・下大島分岐付近)

写真16 宅地入口。右奥に家屋

写真17 家屋(以下中大島)

写真18 家屋

写真19 家屋

写真20 屋敷跡


写真21 屋敷跡


写真22 家屋

写真23 屋敷跡

写真24 大嶋氏の墓と説明板

写真25 学校への階段(現在は別に車道が通じる)。左は「点燈記念碑」(電気導入1周年を記念したもの)

写真26 校門。片方の門柱が残る(建物はキャビン)

写真27 小学校跡の碑と片方の門柱(職員校長棟跡付近)

写真28 広場とコテージ。校庭・校舎があった

写真29 広場とキャビン。キャビン付近に職員校長棟、手前の擁壁の前に校舎があった

写真30 階段脇の屋敷跡

写真31 屋敷跡

写真32 屋敷跡

写真33 屋敷跡

写真34 道路沿いのギョボク密生地

写真35 家屋(以下上大島)

写真36 屋敷跡

写真37 屋敷跡のアコウ

写真38 山之神神社

写真39 神社下の石仏群

写真40 写真38とは別の神社の鳥居

写真41 写真40の社殿

写真42 造成中の土地

写真43 屋敷跡

写真44 屋敷跡

写真45 屋敷跡

写真46 展望地より南郷方面を望む

写真47 小浜港(以下小浜港付近)

写真48 廃屋

写真49 集落風景

写真50 家屋

写真51 家屋

 

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