◆牛地(うしじ)
(本郷)

※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「明智」(昭和35.11)を使用したものである
所在:豊田市牛地町(うしじちょう)
地形図:川ヶ渡/明智
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約280m(水面は約290m)
訪問:2013年11月・2014年4月・2025年3月
町の北部、矢作(やはぎ)川左岸にある。水没前の大字牛地(のち牛地町)の本集落で、明治39年まであった旧生駒(いこま)村の中心地でもある。現在は矢作第一ダムの人造湖(奥矢作湖)に水没。
集落付近では砂利採取場と墓地が2箇所のほか、奥矢作第二発電所が見られた。また水面付近には屋敷跡の石垣が確認できる(2014年再訪時には、水位上昇のため水没。写真2)。なお右岸(岐阜・串原村【現・恵那市】の大野(おおの))には「望郷之碑」がある。
町誌によると、氏神の住吉神社・公民館・郵便局といった施設があったとのこと。住吉神社は牛地の全戸が氏子であり、水没後は和戸地区の黒谷(くろだに)に移転している。牛地郵便局は明治13年4月、字万場垣内に開局。昭和42年、矢作ダム建設に伴い廃止。
また集落南東の駒山(こまやま=山の名)にあった寺院・小馬寺(こまでら)(臨済宗)は、白鳳時代に修験者(役小角とも)によって天台宗の寺院として創建されたという。阿弥陀坊・妙見坊・岩谷坊・海蔵坊・長幡坊・大船堂・柳堂・延寿坊・薬師坊などの僧坊や堂宇があった。延宝年間(1673-80)に、臨済宗妙心寺派に転宗したと伝えられている。本尊は木造十一面観世音菩薩立像。境内には、宝篋印塔・五輪塔などがある。宝篋印塔は、昔から村の人が「孔雀塔」と称されていた。
かつては初午に馬を曳いて小馬寺に参詣する村は多く、南・北設楽郡や恵那郡方面からも来ていた。寺には笹餅や馬の首の笛など、土産物を売る店が並んで賑わったという。参道は黒田(稲武町)・牛地・田津原からのものがあり、沿道には三十三観音の石仏が立っている。
境内にはかつてスギの古木が30本以上群立して壮大な景観であったが、昭和10年代に凡そ半数が伐採され、さらに昭和34年の伊勢湾台風によって折損して、僅か数本を残すのみとなったという。また「弁慶杉」と呼ばれた樹高35mのスギの巨木は、昭和40年代に落雷に遭い伐採された。
2025年、当地より和戸に移転した住吉神社と、駒山・小馬寺跡地を訪問。
当初小馬寺は牛地の発電所付近より徒歩で訪れる予定であったが、時間の都合で和戸方面から林道を利用し、のち南西方向からの参道を利用した。現地では山門が現存するものの、老朽化が進み倒潰は免れない状態となっている(写真9)。本堂や庫裡は倒潰して久しいようだが、ごく最近になり廃材の整理が行われたよう。なお本堂跡の後方の小さな平坦地には、寺院関係者のものと思われる複数の墓石が置かれている。
本堂の西側斜面はやや緩やかで平坦部もあり、先述の僧坊などが置かれていたとも考えられる。
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