◆川向(かわむき)
所在:設楽町川向
町の中部西寄りにある。集落は概ね戸神川沿い(地図画像の左側)と境(さかい)川沿い(地図画像の右側)に分かれ、最近の地形図ではそれぞれ「川向」「延坂」と記されている。 設楽ダム工事事務所のウェブサイトによると、ダム建設の主な経緯は以下のとおり。
令和6年3月末時点での進捗状況は、用地取得が約98%、家屋移転が100%(124世帯)、付替国道・県道の完成が約59%となっている。 町誌によると、明治初年には延坂・尾呂・万瀬・新直・下戸神・中戸神・上戸神の7つの組があったが(※)、戸数の減少により昭和15年頃万瀬組と新直組が合併し万新組になった。さらに昭和30年頃には中戸神組が廃され、現在(刊行は平成13年)は5組となっているとのこと。 ※ 延坂・尾呂・万瀬・新直は地形図の「延坂」、下戸神・中戸神・上戸神は「川向」に当たる 以下は戸口の推移。
現在の地区内の姓と戸数は、大久保14・原田9・中山4・遠山3・伊藤1。また終戦当時は、このほか花田・石川・氏原・山内・斎藤・金田・松村・新井・鈴木・松井・沢田・古瀬・伊田といった家もあった。 近世の生業は農業。米作りをしていたが、収穫が少ない上に地主に多くを納めていたため、生活は倹しいものであった。 昭和15年2月に「電灯架設期成同盟会」が結成され、昭和17年12月に発電所が完成、電灯が導入された。なお近隣では、大名倉が先駆けて大正期に電灯を導入している。
また児童数の推移は以下のとおり。
氏神は東堂神社。祭神は日本武尊・天御中主神・罔象女神・綿津見神・迦具土神・大物主神・菅原道真・素戔嗚尊。創建は不詳だが、永禄13/元亀元(1570)年11月社殿再建の記録が残る。明治5年、万瀬の東堂権現と、現在地の戸神にあった若宮大明神を統合し、東堂神社と改められた。境内には御鍬大神・秋葉社・金刀比羅社が祀られる。 東堂神社境内(上戸神)にあるトチおよび旧川向小学校校地(萩の平沢)にあるラクショウモドキは、町指定天然記念物(それぞれ昭和43年2月1日・同48年3月15日指定)。
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![]() (写真1 堤体の建設地を望む(写真左側)。右端は建設中の道路の橋脚) |
![]() 写真2 水没予定の設楽大橋 |
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≪「川向」にて≫ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真3 中川向バス停 (以下下戸神) |
![]() 写真4 学校跡。左の石柱は跡地を示すもの |
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![]() 写真5 旧校地の屋敷跡 |
![]() 写真6 屋敷跡 |
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![]() 写真7 屋敷跡 |
![]() 写真8 古い墓石群 |
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![]() 写真9 屋敷跡 |
![]() 写真10 戸神川右岸の屋敷跡・農地跡(現在は産廃業者の敷地) |
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![]() 写真11 神社。鳥居の奥は拝殿 (以下上戸神) |
![]() 写真12 境内の小祠・石塔(秋葉山) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真13 祠とトチの巨樹(町指定天然記念物) |
![]() 写真14 屋敷跡入口 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真15 川向バス停 |
![]() 写真16 三軒屋(さんげんや)方面を望む | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真17 管理家屋 |
![]() 写真18 屋敷跡? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
≪「延坂」にて≫ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真19 川向公会堂バス停 (以下万新。写真19-24・30は水没予定) |
![]() 写真20 集落跡と建設中の橋梁 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真21 敷地の登り口 |
![]() 写真22 防火水槽 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真23 屋敷跡 |
![]() 写真24 旧道(右)と宅地への道(左)。手前は現在の道路 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真25 道路と440m地点の看板(左)。最高水位時はこの付近まで水没 |
![]() 写真26 屋敷跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真27 茶畑跡 |
![]() 写真28 管理家屋(「紙屋管理小屋」とある) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真29 何かを祀った跡? |
![]() 写真30 対岸より万新・尾呂方面を望む | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真31 県道より集落跡を望む (以下尾呂。写真31・32、34-38は水没予定) |
![]() 写真32 高所より集落跡を望む | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真33 名倉(なぐら)方面へ通じる「延坂」 |
![]() 写真34 集落風景 (以下延坂) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真35 道路沿いの石積み |
![]() 写真36 屋敷跡? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 写真37 集落風景 |
![]() 写真38 対岸より集落跡方面を望む。橋は工事用に架設されたもの |