昭和24 |
湖東開発事業促進同盟会結成(愛知川総合開発事業促進同盟会の前身) 流域の現地調査開始(8月) |
昭和25 |
ダム計画の説明会(5月)。のち佐目・萱尾・九居瀬においてダム建設の反対委員会が結成される 愛知川総合開発事業促進同盟会、国営事業採択を求める嘆願書を作成し、京都農地事務局・農林省・大蔵省などに陳情(10月) |
昭和27 |
国営事業に採択。着工予算が計上される 愛知川農業水利事業所開設(8月) 村長の仲介により、ダム関係者と水没3地区の住民が参加する公聴会が開かれる(10月) |
昭和28 |
ダム予定地(佐目)において、地質調査を兼ねた仮排水隧道の導坑掘削工事に着手(1月)。その結果大規模な破砕帯が発見され、この地点でのダム築造は困難とされる |
昭和31 |
ダムサイトを相谷(あいだに)(現在地)に変更し、改めて国営愛知川農業水利事業計画が確定。ダムの名称も「愛知川ダム」から「永源寺ダム」に改められる(3月) 九居瀬(牧・新田を除く)において着工の同意が得られ、3月には移住者の第一陣が各地に向かった 県は愛知川総合開発事務所を設置し、開拓地への移住を促進する体制を強化(5月) |
昭和32 |
第1回目の補償基準発表 九居瀬の一部の住民が、町内青野(あおの)の開拓地への移住を開始 町議会においてダム建設促進決議が行われ、町は建設の賛成に転換(7月) |
昭和34 |
起工式(10月5日) |
昭和35 |
反対派による影響で、ダム工事中断(4月) |
昭和37 |
ダムの基礎掘削工事再開(10月1日) 反対派が方針転換の意思を示し、町長に意嚮が伝えられる。のち県庁において、議員・斡旋委員会・永源寺町・受益市町・反対期成同盟による調停式が行われる(12月) |
昭和40 |
定礎式(3月6日) |
昭和43 |
萱尾・佐目において残留世帯の宅地造成着工 |
昭和44 |
萱尾・佐目の宅地造成竣工。移住開始 |
昭和45 |
コンクリート打設完了(9月) |
昭和47 |
貯水開始(10月2日) 貯水式(11月4日) |
昭和57 |
国営愛知川農業水利事業の全事業が完了。完工式挙行(10月8日) |