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◇永源寺ダム

 

 町史によると、建設までの主な経緯は以下のとおり。

 昭和24  湖東開発事業促進同盟会結成(愛知川総合開発事業促進同盟会の前身)
 流域の現地調査開始(8月)
 昭和25  ダム計画の説明会(5月)。のち佐目萱尾九居瀬においてダム建設の反対委員会が結成される
 愛知川総合開発事業促進同盟会、国営事業採択を求める嘆願書を作成し、京都農地事務局・農林省・大蔵省などに陳情(10月)
 昭和27  国営事業に採択。着工予算が計上される
 愛知川農業水利事業所開設(8月)
 村長の仲介により、ダム関係者と水没3地区の住民が参加する公聴会が開かれる(10月)
 昭和28  ダム予定地(佐目)において、地質調査を兼ねた仮排水隧道の導坑掘削工事に着手(1月)。その結果大規模な破砕帯が発見され、この地点でのダム築造は困難とされる
 昭和31  ダムサイトを相谷(あいだに)(現在地)に変更し、改めて国営愛知川農業水利事業計画が確定。ダムの名称も「愛知川ダム」から「永源寺ダム」に改められる(3月)
 九居瀬(牧・新田を除く)において着工の同意が得られ、3月には移住者の第一陣が各地に向かった
 県は愛知川総合開発事務所を設置し、開拓地への移住を促進する体制を強化(5月)
 昭和32

 第1回目の補償基準発表
 九居瀬の一部の住民が、町内青野(あおの)の開拓地への移住を開始
 町議会においてダム建設促進決議が行われ、町は建設の賛成に転換(7月)

 昭和34  起工式(10月5日)

 昭和35

 反対派による影響で、ダム工事中断(4月)
 昭和37  ダムの基礎掘削工事再開(10月1日)
 反対派が方針転換の意思を示し、町長に意嚮が伝えられる。のち県庁において、議員・斡旋委員会・永源寺町・受益市町・反対期成同盟による調停式が行われる(12月)
 昭和40  定礎式(3月6日)
 昭和43  萱尾佐目において残留世帯の宅地造成着工
 昭和44  萱尾・佐目の宅地造成竣工。移住開始
 昭和45  コンクリート打設完了(9月)
 昭和47  貯水開始(10月2日)
 貯水式(11月4日)
 昭和57  国営愛知川農業水利事業の全事業が完了。完工式挙行(10月8日)


 また地区別の移住先は以下のとおり。縦が移転地区、横が移転先(出典は『愛知川水利史』)。

  町内 湖東町【現・東近江市】
鎚の宮(つちのみや)
八日市市【現・東近江市】 県内 県外 計 
残留 青野 藤の森(ふじのもり) その他
佐目 11 38 1 1 0 8 3 8 70
萱尾 7 9 1 0 0 8 0 6 31
九居瀬 0 37 11 0 8 15 5 14 90
相谷 0 1 0 15 0 3 1 2 22
18 85 13 16 8 34 9 30 213

 


写真 ダム堰堤

 

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