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◆途中谷(とちゅうだに)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「熊川」(昭和22.3)を使用したものである

所在:高島市今津町途中谷(いまづちょう―)
地形図:饗庭野/熊川
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約300m
訪問:2025年5月

 

 大字途中谷の中部、途中谷川(石田(いしだ)川支流)沿いにある。
 資料『三谷郷土誌』によると、明治初年13戸60人。全戸が農業で、その傍ら炭焼きを行う家もあった。
 また当地の安本家は、町内保坂(ほうざか)にある宝昌寺の開基であるとのこと。それまで簡易な施設であったものを、400年ほど前に寺院に格上げしたと伝わる。また朽木藩であった当時は途中谷に茶店を出し、藩主などが領内を巡視する際にはいつも休んでいたという。

 町史によると、明治11年農家戸数13戸、副業は製炭。大正末期10戸ですべてが農業。

 また「角川」によると、大字途中谷は近世の高島郡途中谷村。明治22年三谷村、昭和30年今津町の大字となる。氏神は八坂神社。明治13年13戸60人。

 最近の地形図でも複数の建物が見られ、また2000年代の航空写真でも3戸ほどの人家が見られる。
 現在は集落の一部に新しい国道が開通し、それに伴ってか家屋の類はすべて撤去されている。国道の西側は墓地となっているが、墓石が残るものは安藤氏のみ。ほか集落跡の南には市の環境センターが建つ。

 


写真1 屋敷跡。左の斜面は新しい国道の盛土


写真2 屋敷跡


写真3 写真2にて。何かの遺構

写真4 屋敷跡付近?


写真5 墓地入口の六地蔵


写真6 墓地

写真7 墓地にて。何かの跡

 

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