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◆地蔵茶屋(じぞうぢゃや)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「新宮」(大正3)を使用したものである

所在:那智勝浦町口色川(くちいろがわ)
地形図:紀伊大野/新宮
形態:谷沿いの一軒家
標高:約700m
訪問:2024年8月

 

 大字口色川の北部。大雲取山(おおくもとりやま)の西およそ1.1q、赤木(あかぎ)川の支流沿いにある。熊野参詣道のうち、中辺路(なかへち)の大雲取越(おおぐもとりごえ)に設けられた茶屋のひとつ
 
資料『紀伊国牟婁郡名所図会』(原本は江戸時代後期のもの)によると、
「大雲鳥坂」の解説中に、「地蔵茶屋 百十九丁目にあり 傍に地蔵堂あり 一けん家なり」とある。
 現地には林道が通じ、車輛で容易に訪れることが可能。平屋建ての休憩所や便所が設けられているほか、自動販売機も設置されており、古道歩きの大休止には最適な場所となっている。こと休憩所には板の間や囲炉裏を摸したテーブルがあり、照明やコンセントも設置、湯沸室も併設されているなど設備が充実している。屋内の紹介文によると、この休憩所は地元の企業による造営で、平成16年11月竣工。国産材をふんだんに使用し、自然との調和を意識した設計となっている。
 ほか多数の石仏を納めた地蔵堂が茶屋の北に、何かを祀った小さな社が茶屋の南に見られる。
 以下は現地および那智高原公園にある大雲取越の説明板より。


 地蔵茶屋と地蔵堂

地蔵茶屋は大雲取越のちょうど中間地点にありました。もとの茶屋は1921年に廃業し、荒れるがままになっていましたが、2004年、世界遺産となった熊野古道の参詣者の休憩所として、新しい建物がこの場所に建てられました。木製の調度品や囲炉裏をあしらった内装は、大雲取越沿いにあったもとの茶屋をイメージしたものです。
地蔵茶屋の名称は、近くにある地蔵堂にちなんでいます。地蔵堂は1707年に大阪にある堺の町の魚商人によって建てられました。このお堂には旅人を見守る仏、地蔵菩薩の像が32体安置されています。建物は2015年に建て直されましたが、像は当時のものです。像はもともと33体ありましたが、長い年月の間に1体が行方不明になってしまいました。このお地蔵さまは熊野古道を歩き回り、困っている参詣者を密かに助けているとも言われています。


 なお「茶屋」の読みは、説明板や道標などに付されたルビ・ローマ字表記では濁音のもの・清音のものが混在する。

 


写真1 現地の風景。右は休憩所(茶屋跡)、左は便所


写真2 休憩所にて

写真3 池と地蔵堂

写真4 社

写真5 
越前(えちぜん)峠への道と路傍の墓

 

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