◆目保呂(めぼろ)
所在:対馬市上県町瀬田(かみあがたまちせた)
大字瀬田の北東部、仁田(にた)川沿いにある。 町誌には、瀬田村の枝村として記載。大正初期に国有林の開拓が本格的に始まり、本土をはじめ各地から移住者が参集。伐採や椎茸栽培、木炭製造に従事した。大正7年末より目保呂林道工事に着手、同8年開通。木材や木炭などを搬出し朝鮮貿易の基地となり、居住者も逐次家族や知人を呼び寄せ、戸数は40戸余りとなった。大正9年仁田小学校の分教場設置。しかし大正末期から戸数が減少。故郷へ戻る者が多かったが対馬に残る者もあり、現在も佐護(さご)や仁田に若干の子孫が暮らしているという。 1960年代の航空写真でも家屋らしいものは見られず、廃屋1棟と屋敷跡1箇所、建物跡1箇所を見るにとどまった。ただしこれらとは別に目保呂分教場の跡地を示す説明板があり、この脇は小さな平坦地になっている。
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![]() 写真1 建物跡 |
![]() 写真2 写真1付近の遺構 |
![]() 写真3 造林合宿所 |
![]() 写真4 屋敷跡? |
![]() 写真5 屋敷跡 |
![]() 写真6 分教場跡の説明板 |
![]() 写真7 炭焼き窯跡 |