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◆木小屋(きごや)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「三田井」(昭和42.6)を使用したものである

在:日之影町見立(みたて)
地形図:見立/三田井
形態:山中の一軒家
標高:約820m
訪問:2024年12月

 

 大字見立の北部、日之影川支流のたかはた谷沿いにある。乙ヶ渕の上流。
 町史によると、昭和初期に1戸が小作人として入植したという。戦後に農地改革によって民有地となり、植林地となった。
 昭和20年頃の概略図には、林業に従事の川本氏1戸が記されている。
 なお大正初期、見立鉱山の従業員の食料を生産するために当地で開田が行われたとのこと。同時期に
水無でも野菜などを作る農園が開かれている。
 また付近にはかつて乙ヶ渕鉱山があり、文化から文政の頃
乙ヶ渕戸高家の先祖が発見したと伝わる。当時は主に錫を採掘していたよう。明治41年、大分の矢野氏が経営し亜鉛鉱や砒鉱等を産出した。第一次世界大戦の頃、スイス人のファーブル氏が買収し約3年間操業。最盛期を迎え、多数の住宅が建ち300人ほどが居住していたという。戦後は大分の原田氏が鉱区権を得てタングステン鉱を採掘したが、のち休山した。

 2024年、日之影川右岸側の山中を通る林道を利用し訪問。たかはた谷を過ぎてしばらくすると、下方に通じる作業道(特殊車輛のみ通行可能)が開鑿されており、宅地付近にも通じている。
 現地では、屋敷跡と墓、広く段々になった水田跡が見られた。この水田は、昭和23年・24年の航空写真でもはっきりと確認できる。

 


写真1 屋敷跡


写真2 建物跡(昭和23年の航空写真に建物あり)


写真3 墓


写真4 用水路


写真5 道と水田跡


写真6 水田跡

 

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