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◆黒仁田(くろにた)

在:日之影町見立(みたて)
地形図:見立
/三田井
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:?
訪問:2024年12月

 

 大字見立の北部、日之影川支流の見立谷沿いにある。夕ヶ鶴(ゆうがつる)地区の上流。
 町史によると、大正7年より延岡営林署の官行斫伐所が設けられ、国有林での伐採と製板事業が行われたとのこと。一時経営が困難になったが、大正11年頃から再開。従業員は事務員6名、職工・山師55名であった。またマツ・ヒノキ・スギを育苗し、伐採跡地の造林事業も行った。昭和8年に事業が終了し、残務処理や伐採地の造林関係者の一部が残留。他は
水無平に設けられた高千穂営林署の製品事業所に移転したり、他に職を求めて転出していった。
 製板工場の動力は水車であったため、水量の少ない時期は動力が得られず休業することもあったが、雨の多い時期はガス灯を灯し夜間も稼働した。製品は黒仁田からトロッコ軌道により日之影まで運ばれ、陸路や五ヶ瀬川での筏下りで東海(とうみ)港へ運ばれた。
  昭和20年頃の概略図には、緒方氏・飯干氏・緒方氏・河野氏・矢野氏の5戸が記されている(いずれも林業)。

 2024年、日之影川右岸側の山中を通る林道を利用し訪問。
 町史の地図および昭和23年の航空写真より、集落は黒岩谷と中ん谷の間の辺りの林道沿いと想定。しかし建物があったような痕跡はまったく確認できなかった。ただし「黒仁田国有林」と記された看板や、解体され路傍に置かれた鳥居(写真2)には「黒仁田山神社」の扁額が見られたため、大まかな位置は誤っていなかったよう。
 のち黒岩谷との合流部付近で石垣や何かの遺構が見られたため、谷を渡り付近を探索。明瞭な建物跡はやはり分からなかったものの、飯場の建物や古い時代の陶片がまとまって確認できた。集落があったのはこの一帯であったか。

 


写真1 当初の集落想定地付近。林道沿いの風景


写真2 解体された鳥居。扁額には「黒仁田山神社」とある


写真3 石垣

写真4 何かの遺構

写真5 飯場

写真6 水瓶のかけら

 

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