◆追分(おいわけ)
所在:高島市今津町追分(いまづちょう―)
大字追分の東部、石田(いしだ)川沿いにある。 資料『三谷郷土誌』によると、明治初年25戸119人。すべて農業で、その傍ら炭焼きや養蚕、また運送(※)に従事していたという。農地はほとんどが水田で、ほか菜種・麻。棉などを栽培。氏神は山神社。 ※ 北生見・南生見のページで言及する「カイドカセギ(街道稼ぎ)」のことだろう また「角川」によると、追分は中世(鎌倉期)より見える地名で、近世は高島郡の追分村。明治22年三谷村、昭和30年今津町の大字となる。明治13年25戸119人。 集落跡は金網の柵で隔たれており、柵外から跡地を望んだのみ。一瞥する限りでは、跡形もなく更地となっていることが窺える。
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![]() 写真3 写真2付近にて。瓦の一部 |