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◆追分(おいわけ)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「熊川」(昭和22.3)を使用したものである

所在:高島市今津町追分(いまづちょう―)
地形図:饗庭野/熊川
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約170m
訪問:2025年5月

 

 大字追分の東部、石田(いしだ)川沿いにある。

 資料『三谷郷土誌』によると、明治初年25戸119人。すべて農業で、その傍ら炭焼きや養蚕、また運送(※)に従事していたという。農地はほとんどが水田で、ほか菜種・麻。棉などを栽培。氏神は山神社。
 また若狭街道に面し、運輸には便利であったとのこと。

※ 北生見南生見のページで言及する「カイドカセギ(街道稼ぎ)」のことだろう

 また「角川」によると、追分は中世(鎌倉期)より見える地名で、近世は高島郡の追分村。明治22年三谷村、昭和30年今津町の大字となる。明治13年25戸119人。
 山間の農業地域であったが、自衛隊饗庭野演習場の着弾地点に近いため、防衛庁に買収され昭和49年8月17日をもって廃村になったとのこと。住民は町内に分散した。また山神社は町内酒波(さなみ)の日置神社境内に遷座。専称寺(真宗大谷派)は廃寺となり、墓地は今津の天神に移された。

 集落跡は金網の柵で隔たれており、柵外から跡地を望んだのみ。一瞥する限りでは、跡形もなく更地となっていることが窺える。
 なお最近の地形図では北生見との境界付近に神社の記号が記され、ここではその跡地を確認した(写真2)。

 


写真1 集落跡を望む


写真2 神社跡


写真3 写真2付近にて。瓦の一部

 

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