◆轆轤(ろくろ) 所在:高島市今津町狭山(いまづちょうさやま)
大字狭山の南部、天増川(あます)川(北(きた)川支流)右岸にある。 資料『天増川集落民俗資料緊急調査概要』および『三谷郷土誌』には「六ッ石から約2q上流」という記述があるが、実際には集落が立地する環境ではなく、六ッ石からおよそ1.5qの右岸斜面と推定。 『天増川〜』によると、明治5年当時には既に無住となっていたとのこと。どういう理由か、かつての居住者等は六ッ石のものとまったく同一に扱っている。 先の場所には林道沿いに水田跡と思われる広い平坦地があり、ここから斜面をやや上がった場所が集落の推定地。緩やかな段々になっており、屋敷跡と思われる平坦地も見られる。集落の規模はそれほど大きいものではない。 ※ 刊行年(昭和49年)から遡ると明治20年代半ば頃だが、詳細な時期は不明
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![]() 写真3 集落風景 |
![]() 写真4 集落内の道 |
![]() 写真5 屋敷跡? |
![]() 写真6 炭焼き窯跡 |