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◆轆轤(ろくろ)
(位置は推定)

所在:高島市今津町狭山(いまづちょうさやま)
地形図:熊川/熊川
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約290m
訪問:2025年5月

 

 大字狭山の南部、天増川(あます)川(北(きた)川支流)右岸にある。
 
梨ノ木六ッ石水谷と合わせ、俗に奥四村(おくよむら)と呼ばれた狭山の集落のひとつ。

 資料『天増川集落民俗資料緊急調査概要』および『三谷郷土誌』には「六ッ石から約2q上流」という記述があるが、実際には集落が立地する環境ではなく、六ッ石からおよそ1.5qの右岸斜面と推定。

 『天増川〜』によると、明治5年当時には既に無住となっていたとのこと。どういう理由か、かつての居住者等は六ッ石のものとまったく同一に扱っている。
 また『三谷〜』によると、かつては3戸ほど。80年ほど前(※)に無住となったとのこと。

 先の場所には林道沿いに水田跡と思われる広い平坦地があり、ここから斜面をやや上がった場所が集落の推定地。緩やかな段々になっており、屋敷跡と思われる平坦地も見られる。集落の規模はそれほど大きいものではない。

※ 刊行年(昭和49年)から遡ると明治20年代半ば頃だが、詳細な時期は不明

 


写真1 林道と水田跡?


写真2 屋敷跡?


写真3 集落風景

写真4 集落内の道

写真5 屋敷跡?

写真6 炭焼き窯跡

 

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